自分をどう見せるかって
ときには大切なことだと思う。
弱いところを見せることも
誰かに甘えることも
自分を守るために必要なことがある。
だから
弱さを見せることが悪いわけじゃない。
けれど
本当の自分とは
かけ離れた「私」を
ずっと見せ続けていると
少しずつ
人との間に不思議な違和感が生まれてくる。
本当は、そんなにか弱くないのに
本当は、自分で決められるのに
本当は、嫌なことも、腹が立つことも、
ちゃんとわかっているのに
「私は何もできない」
「私は傷つけられた」
「私はかわいそう」
そんな自分だけを
見せ続けてしまう。
そして
本当は腹黒いことを
考えていたり
人には言えないようなことを
してしまったり
誰かを羨んだり、妬んだり、心の中で悪態をついたり
そんな自分もいるのに
人前では
傷ついた自分や
一生懸命生きている自分だけを
一生懸命に労ってみせる。
もちろん、
傷ついた自分を労うことは
悪いことじゃない。
頑張ってきた自分を大切にすることも、
とても大事。
でも、
自分の中にある
「人には見せられない私」を
なかったことにしたままでは
どこかで
自分自身が苦しくなる。
そして不思議なことに
本当の自分とのズレって、
ふとした言葉や、表情や、人への態度に出てしまう。
自分では隠しているつもりでも
周りには、
なんとなく伝わる。
「なんだろう。
この人、何か違うな」
そんな違和感として。
だから、
か弱いふりをすることをやめていこう。
……と言っても
「もっと強くなりなさい」
ということじゃない。
「本当の自分を全部さらけ出しなさい」
ということでもない。
ただ、
自分の中にいる
人には言えないと思っている自分を
人には知られたくないと思ってる自分を
自分だけは
認めてあげる。
「私にも、こんなところがある」
「私だって、嫉妬することがある」
「私だって、意地悪なことを考えることがある」
「私だって、誰かを傷つけたいくらい
腹が立つことがある」
「人には言えないことをしてしまった私もいる」
それでいい。
認めることは
それを正当化することじゃない。
誰かにぶつけていい
ということでもない。
ただ、
そんな自分を
なかったことにしない。
自分の中にあるものを
自分でちゃんと知っていてあげる。
するとね
少しずつ
人への攻撃が
必要なくなっていく。
自分の中にある
「嫌な私」を認められると
目の前の人を
「冷たい人」
「意地悪な人」
「私を傷つける人」
に仕立て上げなくても
よくなるから。
本当は
自分も嫉妬しているのかもしれない。
本当は
自分も腹が立っているのかもしれない。
本当は
相手にしてほしかったことが
あったのかもしれない。
そんなふうに
自分の気持ちを
自分のものとして見られるようになる。
すると、
「あの人が悪い」
だけではない世界が見えてくる。
相手にも
相手の事情があるのかもしれない。
私にも
私の事情がある。
そんなふうに、
人との間に
少し余白が生まれてくる。
そして、もうひとつ。
本当の自分を隠したまま
誰かに優しくされたとしても
「この人は、本当の私を知らないから優しくしてくれているんだ」
って、どこかで思ってしまう。
だから、
人の優しさを心から信じられない。
本当の私ではない私に向けられた優しさだから。
だったら
か弱い私をつくらなくてもいい
かわいそうな私をつくらなくてもいい
いい人でいなくてもいい
強い私も、弱い私も、
優しい私も、腹黒い私も、
嫉妬する私も、
意地悪なことを考える私も、
全部、
私。
その全部を
人に見せなくてもいい。
でも、
自分だけは、
知っていてあげる。
「これも私なんだよね」って。
本当の自分を
自分で認められるようになると
誰かを悪者にして
自分を守る必要も
少しずつなくなっていく。
そしてきっと、
人をその人のまま見られるようになる。
誰かに愛されるために
「か弱い私」をつくらなくていい。
傷ついた私を証明し続けなくてもいい。
本当の私で、人と繋がっていけばいい。
そのほうが
自分も、
相手も、
悪者にしなくていいから。
本当の私で生きるって
自分の中の全部を
自分で抱きしめてあげることなのかもしれない。
最後まで読んでくださりありがとうございました。


