〜介護から学んだこと〜
母に
施設に入所してもらうことを決めた時
私はたくさんのものを手放しました。
母を手放したのではありません。
私が手放したのは
「私がなんとかしなければならない」
という思いでした。
3年前
ばーちゃんが亡くなりました。
そして母はひとりになりました。
母は脳梗塞を3回経験し
認知症の症状も少しありました。
仕事をしている私は
24時間付き添うことはできません。
かといって、
同じ家で暮らしながら
良い関係を続けていける
自信もありませんでした。
母には年金もなく
経済的なことも含めて
私ひとりで支え続けることは
難しい状況でした。
当時は
家庭の中でも
さまざまな出来事が重なっていました。
母のことだけに
集中できる状況ではなく
家族にも支えが必要な時期でした。
私自身も余裕を失いかけていて、
「頑張ればなんとかなる」
だけでは
乗り越えられない現実がありました。
だから私は
母の生活保護を申請し
施設に入所してもらうことを決めました。
母に話をするとき、
胸が張り裂けそうでした。
「ごめんね」
その言葉しか出てきませんでした。
一緒に
暮らしてあげられなくてごめんね…
寂しい思いをさせてごめんね…
私がもっとしっかりしていたら
違う選択ができたかもしれないのに…
そんな思いでいっぱいだった。
本当は母も
私と一緒に暮らしたかったと思います。
ずっと
寂しい思いをして生きてきた人だから。
安心できる毎日を
満たされる時間を
私のそばで過ごしてほしい
そんな気持ちもありました。
だけど
一緒にいると疲れてしまう。
その気持ちを認めることは、
私にとって、とても苦しいことでした。
まるで冷たい娘だと言われているような気がしたからです。
でも今は思います。
あの時の決断は
母を見捨てるためではなく、
私は昔
「無境界」
と言われたことがあります。
相手の問題も
相手の感情も
相手の人生も
まるで自分のことのように
抱え込んでいました。
だから母のことも
私が幸せにしなければ。
私が満たしてあげなければ。
私が支えなければ。
そう思っていました。
でも介護を通して学んだのです。
愛することと、背負うことは違う。
支えることと、抱え込むことも違う。
私は母を手放したのではありません。
「私が全部やらなければならない」
という思いを手放したのです。
今でも
罪悪感がなくなったわけではありません。
時々、
これでよかったのかな…
そんな気持ちになることもあります。
それでも、
あの時の私は精一杯考え
精一杯悩みました。
そして、
できる限りの選択をしました。
大事な決断だからこそ、心が痛くなる。
どうでもよかったことなら、
こんなに悩まなかった。
どうでもいい人なら、
こんなに苦しまなかった。
心が痛むのは
それだけ大切だったから。
それだけ愛していたから。
そして今
もうひとつ思うことがあります。
あの時、
決断したのは私だけではなかった。
母もまた
施設に入るという決断をしてくれました。
自分の母親を亡くしたばかりの頃で
きっとショックだったと思います。
悲しかったと思います。
寂しかったと思います。
心細かったと思います。
本当は私と一緒に暮らしたかった
と思います。
それでも母は、
私の選択を受け入れてくれました。
あの時の私は、
自分のことで精一杯で、
母の気持ちを見る余裕がなかった。
けれど、今なら思うのです。
あれは
母なりの愛情だったのだと。
小さい頃から私は、
母の愛情は私以外の誰かに向いているような気がしていました。
私は後回しなんだ
私は大切にされていないんだ
そんな寂しさを
抱えていた時期もありました。
でも違った。
ちゃんと私にも向けられていた。
母は母なりに、
ずっと私を愛してくれていたのだと思います。
あの苦しい決断の中で
私は母を手放したのではなく
母の愛情を
受け取っていたのかもしれません。
介護から学んだことがあります。
それは、
誰かを大切にするためには
自分も大切にしなければならない
ということ。
そして、
境界線とは
相手を好きなままでいられる距離
だということ。
介護は
誰かのお世話をすること
だけではありません。
自分の限界を知り、
助けを借りることを学び、
抱え込みを手放していく
過程でもあるのかもしれません。
もし今、
ひとりで頑張り続けている人がいたら伝えたいのです。
誰かを大切に思うからこそ、
ひとりで抱え込まない選択をしてもいい。
助けを借りてもいい。
全部背負わなくてもいい。
それは愛情を手放すことではなく
大切な人を
大切にし続けるための
選択なのだと思うのです。

ありがとう。
お母さん。
最後まで読んでくださりありがとうございました。


