「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」だと思えたら、気楽に生きられるし、気楽にやれるかしれません。
禅や瞑想やいろんな達人たちが共通して言っているものがあります。
それは「気楽に生きろ」です。
ただ意味深く人生について考えているというか、思い込んでいたら、そういうの嫌かもしれませんが。
それならそれでいいと思うのです。考えはそれぞれでいいと思いますから。
ただ1つ考えてもらいたいのが、「その考えがプラスになっているかどうか」「機能しているかどうか」ですね。
プラスになっていたり、機能しているならばそれでいいのです。
僕がやめた方がいいのは、「それが別にプラスになっていない、機能していない。むしろマイナスになっているのに持つってことですね」
そうなっていたらやめた方がいいと思います。
あとは「人生はゲームである」という考えもあります。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」であり、「人生はゲーム」なんていう発想はいかがでしょうか?
僕は「人生はゲーム」だと思っているところがあります。
僕は小中学の9年間、ほぼ毎日テレビゲームを欠かさずやっていました。
でも中学卒業と同時に辞めました。
それはテレビゲームのロールプレイングゲームで、いくら主人公のレベルをあげても「僕のレベルは上がらない」と思ったからです。
「そこで頑張っても僕の人生には何も反映されない」ということに突然、気づき虚しくなったのです。
テレビゲームの主人公のレベルをあげる暇があるなら、「お前の人生のレベルをあげた方がいいんじゃない?」って思ったのです。
突然、テレビゲームから「そう言われた気分になった」のです。
「自分がレベルを上げていった方が、自分が幸せになるじゃないですか」
「いくらロールプレイングゲームで、主人公のレベルをあげても、なんの僕の幸せにも関係がないのです」
だからテレビゲームをやめて、「主人公、僕」というゲームをやり始めたのです。
そして「立ち回るのはこの世界です」
だから僕の中ではテレビゲームを辞めたという発想はないのです。
引き続き、ゲームをやっているのです。
ただゲームソフトを変えたようなものです。
やるゲームを変えたのです。
他のゲームはやっていても、「僕の人生に何ら影響を与えない」のです。だけど主人公を僕にして、この人生で立ち回っていくゲームは、「ダイレクトに僕の人生に影響を与えていくのです」
ぜんぜんこっちのゲームの方がいいと思ったのです。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」であり、「人生はゲーム」なんていう発想はいかがでしょうか?
人生で大事なことは、「いかに自分の力を発揮できる考えを持つか」や「楽しくやれるか」だと思うのです。正しい考えうんぬんよりもね。
じゃあ自分が正しいと思う考えを持ったけれど、「全然自分の力が発揮できない」とか、「全然進まない」とかなら、まるで意味不明なことないですか?
「それってその考え、必要なの?」って僕は思ってしまうのです。
所詮ゲームなんだと思うと、「自分のやっていくものがやりやすいと思います」
「自分はどんなゲームをやるか」なのです。
たとえば、奥さんがこの人生で仕事でやっているゲームと僕のやっているゲームは違うわけです。
「種類が違います」
ソフトが違うのです。
でもゲームの種類が違うだけで「ゲーム」なのです。
奥さんは環境の取り組む「ゲーム」なのです。
ゲームだと思うと、いろいろ効果効能がありますよ。
逆にそうじゃない状態が「難しい」と思います。
深刻に真面目に考えたり、やったところで「それと結果が出るとは別じゃないですか」
深刻に真面目に考えるあまり「動けないなら、何をしているのかわからないじゃないですか」
ゲームだと思うと、「楽(ラク)に、楽しく取り組めると思うのです。
どうせやるなら、「楽(ラク)で、楽しい方がよくないですか?」
それにその方が結果が出やすそうだと思いませんか?
どれだけ「力を抜くか」です。
「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」
なんて言われたら、昔の僕なら「何をそんなてきとうなことを言ってんねん!」と思うと思います。
10年以上に前になるのですが、「あなたの興味があることはなんですか?」と聞かれた時に、僕は正直に「平和」だとこたえました。
すると「あなたは世界が平和じゃないと思っているんですね」というこたえが返ってきたのです。
僕の頭は混乱しました。
「この人は何を言っているんだ」と、血が逆流するような感覚も覚えました。
ものすごい一瞬、イラッとしたのです。
「何を呑気なことを言っているんだ」と。
その時に僕は「何かを思い込んでいること」に気付きました。
僕はいろんなものをみて、「世の中は全然平和ではない」という思い込みを持っていました。
映画「禅」で主演の中村勘太郎さんが、「物事をありのまま あるがままみえることこそが悟りですぞ」と言っていました。
「全然物事をありのまま あるがままみえていないと思ったのです」
それに気づいた時からやることは別に変わらなかったのですが、「気楽」にやれるようになりました。
どうせなら「気楽にやりたい」
そのほうが、楽しいし、より進むと思います。
「どんどん気楽さを目指したい」です。