感謝がどれくらいすごいのかって、20歳の時に失恋した次の日に僕は嬉しくて「スキップしていた」のです。(本当にしましたよ。)

 


それでたかが失恋って思うかもしれませんが、僕にとってはそれは中学のヘビーないじめも留置所で殺人未遂(濡れ衣)で入れられたことも、失恋に比べたら「大したことがないこと」です。

鼻くそぐらいです。


いやそれは本当に言い過ぎました。

「すぎたことは過去のものはそういう感覚になったりします」

その時は、しんどかったです。

だけど別に「耐えられるレベルのものなのです」


だけど失恋の場合は「次元が違うかった」のです。


もう半分家を片付けているのです。

「もうここには戻ってこない」と思ってね。

「お前はどこに行こうとしているんだ!」みたいな状態だったのです。

多分死ににいこうとしているのです。


そんな自分を俯瞰をしてみながら、「これはやばい」と思ったのです。


それでこの自分の状態を放っておいたらやばいということで、

「生まれてはじめて母親に僕は相談をしたのです」


母親に相談なんてしたことなかったです。

だからよく怒られていました。

「あんたは、なんでも1人で決める」って。


それで僕自身も「なんで母親に相談しないのかな」と思ったのです。

やったことがないからわからないのです。


でもやったらわかりました。


僕の母への相談は、「失恋の乗り越え方を教えてください」でした。

「世の中の人はどうやってそれを乗り越えているんですか?」でした。


するとかえってきたこたえは、「あんたバカじゃない」でした。


それを言われてなぜ母親に相談しなかったの理由がわかりました。


「そういうことを言われるからです」


そういうのを察して、僕は言わなかったのだと思います。



すぐに僕は「相談した僕がバカだった」と思いました。


こんなふうにワラにもすがる思いで相談したのです。



それであんまり言いたくはないのですが、涙も止まりませんでした。

「人はこんなに涙が流れるものなのか」と思いました。

自分でもひいていました。

止まる気がしないのです。

止まらないのです。


「これはなんだ病気か」ぐらい思いました。


「そのまま涙で全部が出て、最後に自分が全部無くなり、溶けてしまうんじゃないか」とも思いました。その恐怖も感じました。




「耐えられる」というレベルのものじゃなかったのです。


「放っておいたら僕は死ぬ」と思いました。



それで多分本当にそうだったと思うのです。

「その時の自分ではそれは受け止められないのです」


なんていうかロールプレイングゲームでいうなら、僕はレベル3ぐらいなのに、「いきなり最後のボスが現れた」みたいな感じです。(わかりづらいたとえでごめんなさい。)



「いや絶対に無理やん」です。

「今の僕では絶対に勝てない」と思ったのです。



でも人間って「環境適応能力」ってあったりします。

脳って「自分を守ろうとする」のです。

自分の生存を確保しようとするのです。


たとえば元オリンピック選手の室伏広治さんがいます。

武井壮さんが「化け物」と言っている人です。


片手でバーベルを持って、もうこれ以上動かないぐらいまで動かすそうなのです。

それで普通は自分の限界ぐらいまできたらやめるじゃないですか。

室伏広治さんはそこからがスタートなのです。

「自分の限界を超えてからがスタートなのです」


もうこれ以上手首なんて上がらないのに動かすのです。


すると多分脳がやばいと思うそうなのです。


なんかリミットを超えるそうなのです。


「動くようになるのです」


こういうのをラグビーの話でも聞いたことがあります。

ラグビーの練習で、もうこれ以上練習ができない、もうこれ以上走れないというところまで走った、練習したとします。

それで「そこからがスタートなんだ」そうです。


「限界を越える」ということをやるそうなのです。


限界をきたらゴールじゃないのです。

 

限界がきてから「はい、スタート」なのです。

 



人って通常は体に合わせて、自分で行動を決めると思うのです。

「疲れてきたから、休む」とかね。


そうではなくて「自分主導なのです」

「体が疲れているとか関係がない。

「俺はいくよ」みたいなスタンスです」



先に自分がいて、後から体が追いつくような感じです。

「無理だと体は言っているのに、その人は進むです」


「それで、いやあこれ以上進まれたら、体はやばいって思うんですよ。
 
 死んでしまうと。

 それで多分そんなその人に適応できるように脳が対応していくのだと思います」





自分に体を追いつかさせるのです。

そうしないと脳が危険だと判断して、「そうできるようにするのだと思います」



恐ろしい練習法だなと聞いていて思いました。

「それ体大丈夫なん?寿命縮まない?」って僕は思うんですけどね。



「限界を超えたら、後から何かがやってくる」というものです。


火事場のバカ力と言われるものです。


火事場のバカ力というのはよく漫画に出てきました。


「火事場のバカ力とは、危険・危機が差し迫った状況で発揮される、普段は出せないような本気の力・能力のことです。

人間に限らず全ての動物は、全力を出すと筋肉や神経系に大きな負担が掛かるため、筋肉痛になったり、身体を痛めたりしてしまう。

酷い場合は筋肉や腱が切れたり自分の筋力で骨折したりするなどして、体が破綻してしまう。 

そういったことが起きないよう、普段は100%の力を発揮しないように、脳が無意識のうちに身体にリミッターを掛けているのです」




かなり説明が長くなりましたが、多分僕は失恋より「自分の限界を超えた」のです。


「限界を超えているから耐えられないのです」



だからだと思います。

「それに耐えられる自分を生み出したのです」



そこで生まれたのが「感謝」でした。




耐えれない僕に突然インスピレーションが降りてきたのです。


そのインスピレーションをあえて言語化したら以下のものです。



「お前はなに泣いてんねん!
 
 泣くところじゃない。お前は留置所で何を学んできたんだ。

 いいか、

 出会ったことはプラス。
 別れたことはマイナス。
 
 それでチャラだ。何も悲しいところはない。

 「いただいて、失った。元に戻ったそれだけだ」

 いただいたものであり、お前のものじゃない。

 無くなったからと言って、
 「もともとお前には何もなかったじゃないか」


 出会ったことはプラス。別れたことはマイナス。

 それでプラスマイナスゼロ。

 だけど今とても悲しいということは、
 それは「素敵な思い出をたくさんいただいたということだ」


 世の中には結婚して、離婚して「喜ぶ人もいる」

 それは嫌な思い出がきっとたくさんあったのである。
 
 嫌なことがたくさんあった。

 だからその人は別れて喜んでいるんだ。

 「悲しいということは、素敵がたくさんあったということだ」

 ということはいただきもの。


 出会ったことはプラス。別れたことはマイナス。

 それでプラスマイナスゼロ。

 だけどそこにプラスして「素敵な思い出」というものがある。

 これはプラスだ。

 だからトータルプラスだ。

 だから感謝である。


 なのに、お前はそんなことを忘れて、

 「今、神様のクソボケ!なんでこんな目に!」ぐらい思っているだろ。


 お前はそんな計算もできないぐらい、頭が悪くなったのか。

 レベルが下がったのか。

 留置所の時に笑顔になったことを思いだせ。

 その時の自分よりもお前は今退化している。

 その時の自分となり、その自分を超えていけ!

 お前に期待している。

 自分を取り戻せ!」





インスピレーションであり、実際そんな声は聞こえてないのですが、感覚をあえて、言語化するならそんな感じです。


「そう言われたような気がしたのです」




その時に僕は衝撃を受けたのです。


「そうだったのか!!!!!」って。



「そんな発想があったんだ!!!」って自分が衝撃を受けました。

 



それで「その通りだな」と思ったのです。


「そんなこともわからず僕は泣いていた。バカだった」と思ったのです。


「情けない」と。



でもそれに気づけたことがとても嬉しかったのです。


それで別にフラれてよかったと思ったのです。

よくはないですが。


単に「そんなことをわからないなら、そのわからず突き進んで、結婚したとしても、幸せにはしてあげられないからいいかな」と思ったのです。



「大切なことに気づけたことが嬉しかったのです」



そこに僕は涙して、次の日、嬉しくてスキップしたのです。


別にフラれたことにスキップしたのではないですよ。

「それはとても悲しい出来事です」



それでフラれた悲しみ、辛さ、苦しさはあるのです。


だけどそこに「溢れんばかりの感謝がやってきたから、全然耐えられるようになったのです」


むしろスキップしていましたから。


この「悲しみ、辛さ、苦しさ等があるということはとても重要だと思います」


こういうのってごまかしていけたりするんですよ。


でもきちんと向き合わないと絶対に残っていると思うんですよ。



「悲しみ、辛さ、苦しさ等」を無くすじゃなくて、「受け止めるのです。」



それで感謝があればそれができたのです。



喜びや、癒しや、嬉しさの中で「悲しみ、辛さ、苦しさ等がある」って状態になったのです。



だから感謝は「光の玉」だとたとえたのです。


感謝の光の球によって、自分が守られているのです。


その光の中で悲しみ等をやっているのです。


こんな状態になったのです。




そして、そこから僕は爆発したのです。


「一生の悩みが無くなりました」

「いろんなこたえが全部出せるようになったのです」

あくまで自分のことですが。


「僕はなんでもできるし、やれる」と思えたし、

あとは「やったー、成功者になったぞ」とも思いました。


成功はあとはただの時間差に過ぎないとだけ思ったのです。



その時から「いい人になろう」「親切にしよう」と思い、動き始めたし、あとは「本を1日1冊読もう」とも決めました。


とりあえず何も知らないから知ろうと思ったのです。


それは10年続けましたから、10年で3650冊以上読みました。




全ては「感謝のパワーのなせる技」です。





どうですか? 感謝ってすごくないですか。


だから「感謝は大事」だと思います。
 

 

「感謝は大事」それはみんな知っていると思います。

それで知っていることは置いておいて、「新しく聞いてもらいたいのです」

「感謝は大事」と聞けば、「こういうものだ」と思い浮かべるものがあると思います。

それと「僕が伝えていることは違う」と思います。


本当に僕が伝えていることを知っていて、なおかつできていたら「溢れんばかりのパワーがあなたに今あるはずです」


溢れるばかりというか「溢れます」