「非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと粘る。」は、僕の小さい頃で言えば、

僕の世界は
「我慢しない」
「風邪に薬は使わない」
「強迫性障害は治す。治る、治らないではなくて治す」
「遺伝は変えられる」
「部落差別はしてはいけない」
等です。


こういうものが僕の世界にあった(ある)ものです。


考えというよりは「自分の世界」といった方が近いかもしれません。


それで人は「違う世界観を持っていたりします」



たとえば、
「我慢するべきだ」
「風邪に薬は使った方がいい」
「強迫性障害は治すという発想ではなくて、そんな体質に生まれた自分を不幸に思い、どこか悲劇のヒロインみたいになって、犠牲者を演じるべきだ。その方が快感だし、いいことあるかも」
「遺伝は変えられない」
「部落差別はしてはいけないというのは建前で言うのはいい。だけど間に受けるな。うまく部落差別をしろ」
等です。



人はこんなふうな世界観だったりもします。そんな方もいるでしょう。

それが「正しい間違い」「良い悪い」というよりは、それは「その人の世界観」です。


人がそういう世界観だったとしても、別にその人はその人でいいと思うのです。

僕は違うってだけです。

別にそこに迎合する必要もなければ、合わせる必要もありません。

それがたとえ自分の親だったとしてもです。


だけどいけないのは「暴力」です。

暴力とは「自分の世界が正しいと思い、相手の世界が間違っていると思うことです」


そう思いたい気持ちはとてもわかります。

でも正しい間違い、良い悪いを持ってくると「争いになるし、喧嘩になります」


別に戦う必要はないと思うのです。



「非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと粘る。」のベースは、インド独立の父、ガンジーが唱えた「非暴力」と「不服従」であった方がいいです。



それで自分の世界観があり、人生進んで結局どうかってことです。

気に入らないなら辞めたらいいだけです。


「我慢しない」「風邪に薬は使わない」「強迫性障害は治す。治る、治らないではなくて治す」「遺伝は変えられる」「部落差別はしてはいけない」等は、僕の小学生の時の世界観ですが、今の僕とそんなに変わらないです。

というか、同じ世界観だと思います。


それで1つ1つ自分の根拠を持てばいいのです。

たとえば「我慢しない」とこれは6歳の時に決めましたが、なぜそう決めたのかというと、同じことをやっても「我慢ととる人」と「我慢ととらない人」がいるのです。

同じ出来事が起きて「我慢する人」と「我慢しない人」がいたのです。

これってみえている世界が違うのです。

「我慢しない人の世界の方が楽しそうです。ストレスが無さそうだし」


自分のみえる世界を変える、こちらの努力をした方がいいから「我慢しない」と決めたのです。

それが健全だと思ったのです。

あとは我慢が体に悪いから、単純に「我慢しない」と決めたのもあります。


人は「我慢しなさい」と言いますよ。

そう言っていた母親は時々入院したりしていました。多分ストレスです。

(ちなみに小さい頃は母親は「我慢しなさい」とよく言っていましたが、全然言わなくなっていきました。僕と似たような感じになっていきました。)

 


笑うと免疫力が上がると言われています。


それは何かの存在が「笑いなさい」と言っているのです。

我慢すると体に悪いです。


ということは何かの存在が「我慢するな」とおっしゃっているとも思ったのです。


自分なりに「自然の法則に従おう」とも思ったのだと思います。


人は「我慢しなさい」という理屈もわかるのです。

人の話は聞いた方がいいのです。参考になります。

ただ「我慢しない」だけなら、自分勝手になったり、暴走したり、逃げたりします。

時にやらないといけないものもあったりすると思うのです。

そのものと向き合えば「我慢になる」ってそういう時もあります。


だから「みえ方を変えて乗り越えていけばいいのです」

 

仏教では「我慢」は「我が慢心する」で良くないものとも言われていますしね。

 



別にこれが僕の考えが正しい間違いというより、「僕の世界観です」


人は別に違う世界で生きてもいいのです。


それでもし人にやって欲しければ、「自分の世界を伝えるだけです」

「こんな世界があるよー」ってね。


それで生きているのだから、自分の体験は語れたりするのです。



それで相手がやりたいと思えばやればいいし、そうじゃないならそれでいいのです。


どうしてもその人が大切であり、
どうしてもその人にやってもらいたければ、

「ただ必死でプレゼンを行うのです」


プレゼンや口説くってセンスです。


あとは相手を変えようとしているというより、「自分の世界観を伝えている」というセンスです。


それで、やるやらないは相手の自由です。


「このラーメン美味しいよ、絶対に1度食べてみて!」

「ハワイ行ってきたよ。素敵だったよ。1度はハワイに行ってみて!」

そんな感じの質のコミュニケーションです。

そんな感じで「我慢しない方がいいですよ」等と言うだけです。


別に「このラーメンを食べることが正しいですか?」

「ハワイって行くべきでしょうか?」


そんなわけはないです。

ただの好みです。


「このラーメン美味しいよ、絶対に1度食べてみて!」

「ハワイ行ってきたよ。素敵だったよ。1度はハワイに行ってみて!」

は、自分の世界観を伝えているだけです。


それで食べる食べない、行く行かないは相手の自由です。

 

 

「そんなノリで行きたいです」