「非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと粘る」の例を僕のことでもう1つお伝えしますね。僕でいえば、繊細で感受性豊かで、敏感な体質です。

「自分で言うなよ」って話にはなりますが。

そのことによって病名つけるとしたら強迫性障害でした。そういう症状が出ていました。


当時僕は7、8歳ぐらいでした。

「なんか人と違うなあa」「僕のいる世界ってしんどくない?」って思っていました。

 

 

それで治るかどうかについてなのですが、そこは僕にとってはどうでもよかったです。

「治す」という1点です。


治る、治らないではなくて「治す」

僕の思考はこれ一点のみでした。


なぜなら治さないと「結婚ができない」と思いましたから。

「相手に迷惑をかけてしまう」という判断です。


「嫌いな人なら、迷惑かけようが僕はなんとも思わないんですよ」

「だけど、好きな人に迷惑かけてしまうのは辛いじゃないですか」


だからそういう思いをするのであれば、「一生独身生活をする」という僕の選択です。

だけどそれは嫌なので、「治す」

これ一点でした。



たとえば昔、防衛大学では、入れば、海で全員泳がされたのです。6時間ぐらい。

その中には泳げない人もかなづちな人もいたはずなのです。

だけどそこには「泳ぐ」という選択肢しかないのです。

「泳げない」はないのです。

「泳ぐ」なのです。


いくら泳げないと泣き叫ぼうが、喚こうが「泳ぐことは決まっていて、泳ぐ」のです。

 

戦争ってそういう状況ですから、そういう訓練だったのだと思います。


「選択肢がある」ってことがそもそも問題であったりすることもあるのです。



治る治らないじゃないのです。「治す」です。

治らなければ「一生独身」


僕の頭はそれだけでした。



それで10年ぐらいかかりましたが、治りました。

正確にというと「かじを取れるようになった」のです。

性格というか、体質というか、そういうものなので、治さなくていいのです。

治ることだけなら「鈍感になればいい」のです。

でもそれは小手先であり、根本的解決にはならないです。

そんなものは7、8歳の僕でもわかりました。

それだと「別の問題に変わるだけ」です。


「自分のそのものを扱えるようにした」ってだけです。



人がどういうかはどうでもいいんですよ。

人が「治らない」と言おうがどうでもいいんですよ。

「自分がどうしたいか」です。



人は安易に「合理的な人間は、自分を世界に適応させる」にいきがちだったりします。

そうではなくて「非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと粘る」のです。

 

他者に振り回されるのはめんどくさい。

 

 

外野がいくら治らないと言おうが、「自分がどうしたいか」を考えて、治したいなら「治す」

 

それで治る為にはどうすればいいんだろうと考えて動くだけです。

 

それをやっていたら、10年ぐらいかかりましたが治りました。

 

 

今の時代、病名や障害等の名をつけられやすいですが、それは僕は無視した方がいいと思います。

 

あった方が「多分、親等が、ヨシヨシってしてくれるかもしれません」

 

「甘やかしてくれるかもしれません」

 

 

僕の場合は、ばあちゃんなら「気狂い(キチガイ)」

 

母親なら「おかしい」「変だ」と、僕のことを言っていました。

 

そこについて特に僕は何も思わなかったです。

 

「そのとおり」だと思ったので。

 

 

「気持ちがわかる!僕も思う!」って思っていました。

 

「でも仕方がないやん」と思っていました。

 

 

障害とかつけられるなら、「発達障害」等が僕はおまけについてきたと思います。

 

 

人にはない課題で「この僕の課題はなんなん?」って当時思いました。

 

でも人それぞれ課題はあると思います。

 

「僕の課題はそうってだけ」

 

取り組むだけです。

 

「なんで僕はこんな人生なん、ああシクシク」って思ったこともありますが、思ったところで仕方がないですからね。

 

 

外野はどうでもよくて、「自分がどうしたいか?」で考えて、こたえを出して、歩むだけです。


それが「非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと粘る」です。

 

 

「合理的な人間は、自分を世界に適応させる」の中に入るとややこしいです。病名や障害とかつけられるし、時に治らないとか言われたら「ああ、うまく付き合っていくしかないんだ」と思い、諦めの中で生きることになります。

 

「ああ、うまく付き合っていくしかないんだ」と思う人は、本音は「治したい」です。

 

じゃあ「治す」と決めて歩めばいいのです。でも「合理的な人間は、自分を世界に適応させる」の中に入るとそんな思考は無くなったりするのだと思います。

 

 

強迫性障害を治した後には、その症状を治すのに有名な森田療法があるのですが、そこには「強迫性障害を治すのは、恐怖突入だ」みたいなことを書かれてあったのですが、「確かにやったなあ」と思い、間違ったことは書いてないです。

 

多分教科書を読んでやるより、自分で考えて動いた方がいいと思います。

 

人それぞれかもしれませんが・・・

 

「そもそもが当時小学生とかで、漢字が読めない」ってこともあったと思いますが・・

 

 

やり方は各自でいいと思いますが、治したいなら「治す」と決めて歩めばいいです。

 

それで治らなければ、治らない、それだけです。

 

治らないこと等は、全力で取り組んだ後に、考えたいなら考えればいいです。

 

「目的に向かって集中したらいいのです」

 

目的外のことを考えたいなら、その後で考えたらいいのです。

 

 

まずは「非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと粘る」のです。

 

合理的な人間になりたいなら、その後でいいと僕は思います。