お釈迦さんのとても有名なのですが、死んだ我が子を生き返られてくれという人がいたのです。

 

(お釈迦様は神みたいに思われるようになったり、神通力等が使えるという噂もひろまっていたからだと思います。)

 

 

その時、お釈迦さんは「わかりました」と言ったのです。

 

 

それで「では、誰も死んでいない家から、芥子(けし)の実をもらってきてください」と言ったのです。

 

 

それで全員のところをそのお母さんは回ったんですね。

 

 

それでお釈迦さんのところに戻り、「私が思違いをしていました」とそのお母さんは言ったのです。

 

 

誰も死んでいない家はなかったのです。

 

 

何をお釈迦さんは伝えたかったのかというと、

 

「あなたは我が子が死んでと言って、ギャーギャー喚いているけれど、同じように、他の家にも起きていて、あなたはそれについてなにをいままで思い、やってきたのですか?

 

それで、そこについて今と同じように人の気持ちがわかり、相手の立場に立って、泣けるなら、あなたの悲しみはきっと少なかったでしょう。

 

あなたがいまとても辛く悲しいのは、いままで人のを見て、辛く悲しいをしなかったからです。

 

だから、「一度にいまあなたに、辛く悲しい思いが降り注いでいる」のです。」

 

みたいなものだと思います。

 

 

 

自分が辛い思い、悲しい思い、苦しい思いをした時、それと同じような体験、目に遭っている人っていると思うのです。

 

もし自分がその手前で、「そのような出来事が起きている人と共に悲しみ、辛さ、苦しさを味わっていたら、自分にいざその人と同じことが起きても、悲しみや辛さ苦しさが軽減したりするのです」

 

 

だけど人の悲しみ等無視して生きてしまったら、いざ自分がそのものが起きた時に「ダイレクトに悲しみ等がやってくるのです」

 

 

だから日頃から人のことに目を向けておきたいです。

 

 

共に悲しみ、辛さ、苦しさを味わい、何なら共に解決の為に動いたりしていると、いざ自分がその人と同じ立場に立さされた時に、悲しみ辛さ苦しみが軽減されると共に、何かしら解決策が浮かんでくるかもしれません。

 

共に解決の為に動いたりしてきた経験が役に立つのです。

 

 

それを「人の為に何も動かず、共に悲しみ、辛さ、苦しさを味わわず、人のことなんて知らないプー」みたいに生きてしまったら、いざ自分に何かが起きた時に、ダイレクトに悲しみ、辛さ、苦しさがやってくると共に、そこに対して何も解決策が浮かばなかったりするのです。

 

 

だから、何かが起きる手前でぜひ動いておきたいですね。

 

 

それでもし何かが自分に起きた時には、今まで自分とこの同じ状況の立場の人のことを考えてこなかったなと反省したらいいかもしれません。

 

それで考えていけば、解決策が生まれていくかもしれません。