プロ野球選手の白根さんという方がいます。
横浜で、25歳の時に、戦力外通告(クビ)になりました。
白根さんのことは、当時高校の監督をしていた方は、
「まごうかたなき天才だった」
と語っています。
「白根の前後で、梶谷(隆幸・DeNA)、糸原(健斗・阪神)とプロ野球選手が生まれましたが、野球のセンス、感性というのは白根が抜群でした。
体勢を崩されても技術でヒットにできる。天性のモノを持っていた」
と語っているのです。
才能を最大限に発揮した白根さんは、エースとしてチームを甲子園に3度導いています。
高校時代、投げてはエース、打っては通算40本塁打と記録を残しています。
けれどそんな方でもものになっていないのです。
印象的な言葉が以下です。
白根さんの言葉です。
「一生懸命練習したつもりです。でも、一流の選手にはなかなか追いつけない。
彼らは自分の頭で考えている。
監督やコーチからアドバイスを受けることも大切ですが、
その通りにやって結果が出るかどうかはわからない。
必要な部分と、そうでない部分を自分でちゃんと選択する。それが僕はできていなかった」
白根さんだけではありません。
天才と言われた方がものになっていないケースは多いです。
「能力や才能やセンスよりも、大事なものがあるのかもしれません」
それは、
「彼らは自分の頭で考えている。」
です。
野球には教科書があります。でも教科書に乗っていたり、教えられることを「けっこうみんな変えていっているのです」
「捨てて、自分で生み出しているのです」
むしろ教科書では「やるな」と書かれてあることを「やっている」プロもいます。
プロの世界はそうじゃないと生き残れないのだと思います。
プロの世界はそうでしょう。野球に限らずいろんな世界がそうだと思います。
それでお釈迦様は死ぬ間際こうおっしゃられています。
「あなた方は、それぞれ自分自身をよりどころにしてください。
自らを暗やみを照らす明かりとして、正しい道を歩いてください。
そして、それでも迷いがあるのなら、私の教えをよりどころにしてください。」
これは「自分が前」で「教えが後ろ」にあります。
「自分自身をよりどころにしてください。」これが「自らに由る(よる)」
そして「自由」と書きます。
それは「自分が前」です。
自分は前を歩んでいるのか、それとも誰かの後ろをついていこうとしているのかをぜひ自分で自分のことを確認してみてください。
「教え」の後ろを歩こうとしているのか、「教え」の前を歩いているのかです。
多分ですが、宗教されている方も
「あなた方は、それぞれ自分自身をよりどころにしてください。
自らを暗やみを照らす明かりとして、正しい道を歩いてください。
そして、それでも迷いがあるのなら、私の教えをよりどころにしてください。」
が、できている人は少ないと思います。
教祖の後ろを歩いているような感じじゃないでしょうか?
(多分ですよ。宗教とか入ったことがないので、僕のあくまでイメージです。)
そうではなくて「自分が先頭を立つ」
「自分が1番前を歩く」
それで、その中で、迷いがある場合、誰かの教えを拠り所にするのはいいのかもしれません。
「自分が先頭を立つ」「自分が1番前を歩く」ことを忘れないでもらいたいです。
それが「自らに由る」で自由だし、あとは「責任」でしょう。
「彼らは自分の頭で考えている。」
というのは、その彼らは、「自分が先頭を立つ」「自分が1番前を歩く」
それをやっていると思います。
その上で、迷いがある時は、誰かの教えを拠り所にしたりするのです。
「あなたは先頭を立っていますか?」
「自分が1番前を歩いていますか?」
大丈夫ですか?