昨日は、散髪して、銀行へ行き、買い物をした。杖を突いて全神経を集中させながらゆっくりと結構な距離を歩くことができた。ただ、左足に重心移動をするたびに嫌になるほど痛い。

しかしながら、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、入院当初のことを思えば、こんな痛みは実は喜びでしかないのだ。

今回の病気は、いったいどんな意味があったのだろか?

……とあらためて思う。

そこで、闘病中に感じ思ったたことを忘れないために、本ブログのコメント欄に返信したことをここに残しておこうと思う。

まず、手術後治療の最も辛苦を味わっていた時のこと。


 

今回の「修行」で学習したことは、身体を完全に他人に委ねるということはどういうことかということです。

尾籠(びろう)な話で恐縮ですが、皆様は、陰部や肛門から排泄まで他人の管理下になるということを想像できますか? 布団の上で紙オムツをさせられてそのまま排泄する。手術後2週間左脚を固定されて寝返りもできない。膝に差し込まれたチューブと機器が繋がってるので差し込み便器も使えない。術後の痛みに耐える以上にこのことの精神的苦痛は、身体を持って生きることの原点について考えさせられました。そして、医師が「この治療でほとんどの人がメンタルをやられる」と言っていた意味も理解しました。

私たちが最初に地球に来て転生した時は映画『ベルリン天使の詩』で描かれていたように、身体を持って呼吸すること、走ること、汗をかくこと‥‥その一つ一つに感動を覚えたことでしょう。忘れ果ててしまいましたが、そういう体験をしたくてワクワクしてここに来たのでした。そして病老苦死を何度も繰り返すうちにその快感を忘却して健康健常であることを当たり前のこととして身体の声に耳を傾けることを疎かにして、その思い上がった精神が身体に復讐されている。

身体を他人に委ねることはごめん被りたい。その一方で私たちは精神を身体に委ねているという事実を考えないようにしている。精神的に克服できない痛みや痒みがあるということをこの二元性物質世界は嫌というほど学ばせてくれた。

自問してみた。「青い夜明けを楽しんでいるのか?」

楽しいわけがない!

しかし、それでも何とかして楽しみを見い出そうとする精神があまりにも健気(けなげ)で気に入っている。
(2025年12月1日)




その時は置かれた状況に順応すべく必死でしたが、同時にそこにポジティブな意味を見出そうとしている。


3年前に死の淵を彷徨って入院して助かりましたが、今回も、土曜日からの三連休、幸運なことに土曜日の午後に緊急手術することができた。もしも連休明けの火曜日となっていたら、左脚膝下切断か死かの選択を迫られていたと医師に言われた。だから感謝、感謝、感謝の気持ちしかありません。

3年前も思ったことですが、死ぬことは恐ろしいことではありません。何故なら自分自身が死ぬことはないから。ただし、この肉体が苦しむことは耐え難い。

この3D世界も同様で、この二元性物質世界は遅からず終わります。次元が上昇するので見かけ上は現在の地球惑星が崩壊したかのようになります。宇宙の摂理に従うしかないのですが、であるからこそThe end of the Worldをどのようにして生き抜くかが問われています。この世界を何とか継続させたい勢力は現状維持のために手段を選ばず、人々を騙し続けたい。次元上昇させたい勢力は進むべき世界がもうそこに準備されていることを人々に気づかせたい。

「オールドメディア」が流行語大賞になるくらいですから、フェイクマスゴミの言語空間はすでに崩壊しています。オールドワールドはまもなく終了の様子ですが、既存概念では説明不可能であるため、次元が変わるとしか言いようがないようです。

新地球はすでにそこにあって、「最高の時」を経てシフトすることになり、その時、この世界がいかに嘘に塗れていたか、バーチャルな虚偽世界であったかがすべて明らかになるのでしょう。そのために「今ここ」を選んだのですから楽しみです。

それまでの間にどう生き抜くべきかについて、2000年前にイエスが説いていました。現在、目覚めを体験してこの世界に違和感を抱きながらも何とかせねば……と思って生きている人は、イエスの人生をすでに生きています。

周波数を上げるとは、スターシード・イエスの生き方を模範として愛と調和を目指す。

周波数を上げるとは、次元上昇して地球系銀河人として宇宙の普遍的意識を生きられるようにする。

そう思いつつ、病室のベッドの上で粛々と治癒を目指しています。
(2025年12月2日)




そして、私たちの想像力の限界についても再認識した。

教え子に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う生徒がいました。物分かりがよく、とても素直で、遅からず心臓の動きが止まることになることを自覚しながらも明るく前向きに努力する姿が眩しく、この子の周りの雰囲気を変えてゆくようにも感じられました。

どのような心情で生きているのだろうと思って、たとえば、痛みや痒み、排泄、性欲、その他諸々の身体的欲求や苦痛に対してどのように対処しているのだろうかと気に掛けはしましたが、それ以上想像することはしなかった。

今回、下半身と排泄について(たったそれだけのことに過ぎないが)他人に委ねる体験をして彼の心情にほんの少しだけ近づくことができたと思った。

そこに身体的苦痛に打ちひしがれている人がいたとしても優しい言葉をかけたり思いやったりすることしかできない。その人の苦痛を共有することなどできないし、恐ろしくてそれに対する想像力が働かないように本能的に守られている。

アドレノペド被害者の子供たちのことを知った時もそうだった。そういう想像を絶する現実に直面すると、心が壊れまいとして想像力を止めるべく自衛本能が機能する。

そういう意味において病気や障害はその人の想像力のキャパシティを広げる効果がある。人にやさしくしたい、思いやりたい、愛を伝えたいという気持ちを増幅させる作用がある。

御指摘のような試練かどうか否かということよりも、私のような図々しいほどに楽天的な人間は身体的窮地に突き落とされなければ本気になって物事の本質に迫れないのかもしれません。
(2025年12月4日)




私たちは例外なく、この世界で対処すべく「宿題」を課されている。しかも自らの意志で志望した任務を果すために。だから、克服すべきものとして自分自身に与えられたもの(持病等人生における様々な課題)に対して素直に正直になることで物事は快方に向かうことをあらためて思った。

2回目の手術からひと月程経ち、傷口もほぼ癒えて快方に向かっています。ただ、炎症反応値がまだ高いことから医師はリウマチ対処薬を処方したい。

3年前の入院時から透析を始めたことによりリウマチによる全身関節浮腫が取れたが、左膝関節周りに残っていた膿の塊が今回のバイ菌感染原因となったのだから医師の言うこともわかる。

リウマチについては不思議な体験をしたことによってその激痛から解放されたことをブログ記事にしました。

 

 

 


ここから抜粋します。

《 添付始め 》

何となく予感がしたので家の庭に出てみると、庭のほぼ真上に「光」が浮いています。飛行機の点滅灯とは明らかに異なる黄色光が円を描くように回っています。思わず見つめるとその体験が始まりました。

体の芯に何やら熱いものが込み上げて来る感じ。大地からのエネルギーを身体中で受け止めている感じとも言うべきでしょうか。私はその心地よさにつられるようにして両手を上空の光の方へ向けながら光のシャワーを浴びるようにして全身を投げ出しました。

全身が充電されている幸福感の絶頂とはこのことを言うのでしよう。5分くらいその恍惚感は続くとその「光」は南西の方向にゆっくりと飛び去って姿を消しました。

《 添付終わり 》

医師にそのような話をするわけにはいかないので、日常生活で特に困っているわけではないとしてその薬物処方を固辞しました。

11年前に「光」の存在に癒されてから今回の再入院まで、新地球移行までのモラトリアム期間と併せて、人類にとっての次元上昇準備が続いています。The end of the worldでいかにして魂を輝かすことができるか。朝まだき、鳥たちが囀るように陽気に鼻唄を口ずさみたい。

そのためにも退院が待ち望まれるのですが、うれしいことに本日から車椅子使用が許可されました。歩行機を用いた歩くためのリハビリも始まり、「く」の字型に曲がった膝を伸ばす。あともう少し治癒に専念します。

いつも背中を押して下さる皆様には感謝しています。ありがとうございます。

(2025年12月16日)




そして、一昨日に退院。

退院時、奥さんは仕事だったのでタクシーを呼んで帰宅した。運転手に行き先を告げながら、今日退院すること、3年前にもタクシーで帰ったことなどを話していると、「確か3年前もお客さんを乗せましたよ。」と言われた。それで、その時に車中で話したこと(今走っている道路わきの木が倒れて通行止めになっていたこと)を思い出して言うと、「そうそう、そういう話しましたね。」と。

この地域大手のタクシー会社で従業員も多いので運転手もびっくり。「こういうこともあるのですね。」と驚いた。

 

……3年前の退院時と現在とがぴたりと重なって、わかった気がした……病気入院となった意味について。


……3年前の入院(修行)で至らなかった学習を今回させられたのか?
 

それは何だろう?

……もっと強くなりたい。
……もっとやさしくなりたい。

わかりやすい言葉に置き換えるとそういうことだと感じている。