腎不全末期、4時間の透析を一日おきに生涯続けなければならない身体となったことの意味、この不自由な生活をいかにして受容するかについて時々考え込みます。
身体の不調は、必ず何かを知らせるための合図、精神的なメッセージであると経験的に感じています。何かやむにやまれぬ思いというものがあって、そのことに気づかせようとする身体の必死の叫び声であるとも言えるでしょう。
3年前にブログ記事を書き始めたのもそれと同様なのですが、現在に至る体調不良は、約20年前、あることに気づいたことと同時に始まりました。当時は、結婚して子どもも授かり、高校教師、教育者としての使命に全力を尽くそうと張り切っていました。そして、「教育とは何か」について根本的に問い掛けするようになり、そこで気づいたのが、教育現場に於ける「愛国心」の欠如です。
そもそも「国を愛する心」とは何か。様々な本を手当たり次第読み、教育セミナーに積極的に参加しているうちに自分は何者なのか気になりました。そして、我が家の戸籍を遡って調べてわかったことがあります。
それは、私から数えて5代前の先祖は、桜田門外の変に参加しているということです。桜田門外の変とは、1860年(万延元年)水戸藩浪士17名と薩摩藩浪士1名による18名の襲撃で、江戸城登城途中だった大老井伊直弼を討ち取った事件。その際、実は、18名以外にも補助メンバーがいました。私の先祖はこの先陣が打ち損じた場合の予備隊として甘酒屋に身を潜めて経緯を伺っていましたが、襲撃が成功したため、幕府の捕縛から逃走して中山道を西に向かって身を潜め、さらに、現在の私の住む山村に身を隠しました。
我が家に伝わる水戸藩脱藩浪士の話は、家の近くにその墓があることから噂話としては聞いたことがありました。祖父の親は早逝したためその経緯が正しく伝わっておらず、曲解された不明な事実としてその話は残されていたのですが、明治以降残されている戸籍を全て調べてみると、その事実を確認できました。
幕府による厳しい追求があったのでしょう。明治22年になってから改名する等してその事実を封印して、以来、時代の変化とともにこの話は消え去って根拠不明な噂話となったようです。
その先祖は、当時34歳、水戸藩を脱藩して、「尊皇攘夷」という正義のために命を懸けました。さらに、その4年後の天狗党の乱で、水戸藩尊王攘夷派、最後の最後まで攘夷実行を志した幕府最強の集団は悉く処刑されてしまいます。身を隠して生き延びたもの、仲間達の無残な最期をどのような気持ちで耐え忍んだのか、その無念さを思いやることができます。その5年後、明治3年、44歳で10歳の跡継ぎを残して早逝。おそらく病死だったでしょう。
当時、幕府倒幕の大義名分の下に在日の李族が長州薩摩を動かして明治となりました。孝明天皇は暗殺され(処刑されたという説もあるが)、「尊皇攘夷」から「開国」へ。在日李一族による乗っ取り、そのニセモノ革命ぶりに対して、自らの命を懸けた大義と折り合いを付けることはできなかったでしょう。
この事実を確認すると同時に、体中の関節が痛むリウマチ症状が始まり、その延長線上に現在の身体状況があります。それは、2001年911同時多発テロが自作自演であると気づき、私たちの与り知らぬ強力な意思が世界を動かしているということを知って目覚めた時でもありました。
目覚めは、自らに関わることで曖昧・無関心であったことに気づくことから始まります。私の場合は、身体的痛みと体調不良とを伴って始まり、その意味を追求することで認識を深めています。日本人の多くが、目覚めないのは、真実の歴史を消されると同時に同調圧力の下、自分自身の来歴や自分自身の中に抑圧封印してしまった事実や感情を無視し続けているからではないのでしょうか。
顕在意識に於いて反省すべきこと、どんなに反省しても反省し尽くせないことはあります。それについて、隠さずに認めながら付き合いながら今ここで生きてゆくしかありません。そうしているうちに無意識を意識できる機会も訪れます。
何かに気づくということは、潜在意識にアプローチできる可能性が開かれることです。いまだにマスクして「……したら困る」意識を拭い去ることができないのは、間違った顕在意識の問題に過ぎません。まずは、目と耳を塞がれてしまった迷妄状態にあることに気づいてマスクをやめる。意味もなくマスクし続けていながら大切なことに気づくのは不可能です。
無意識(潜在意識)は宇宙の果てまで、「一なるもの法則」として宇宙の根源までつながっています。どのようにアプローチするかは、人それぞれであって、何を選択して生きるか、その自由意思で決めればいいことです。
水戸藩を脱藩した先祖や天狗党の乱で散った命、尊皇攘夷。私は、在日李一族支配、彼らのためにあるこの国には「さよなら」しました。