アシュター司令官メッセージ「高密度の現実」解説の続きをしたいところですが、今回も中断して、以下の情報の掲示をします。

【日本人粛清リスト】平成天皇、安倍晋三、森喜朗、小和田恒、櫻井翔親子、貴乃花、松田聖子、モー娘など多数 組織としては創価学会、電通、富士フィルム、三菱ケミカル等々
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-441b2a.html

さあ、いよいよ始まります。まだ目覚めていない方でもこれで目が覚めるでしょう。

上記の粛正リストメンバーについて、すべてもっともだと思いますが、今回は、平成天皇についての情報を共有したいと思います。

現上皇が皇太子時代、軽井沢のテニスコートで皇太子妃となる美智子様と出会ったという話は有名ですが、その時に何があったのか、についてです。

現上皇と現上皇妃が出会う前、昭和32年2月に、正田美智子と作家三島由紀夫は見合いをしています。当時、三島由紀夫は『潮騒』『金閣寺』のベストセラー作家として一世を風靡した話題沸騰の小説家でした。当時、美智子は聖心女子大学4年生。二人は、銀座歌舞伎座で偶然出会ったことを装って見合いをします。その後、銀座6丁目の小料理屋「井上」で食事をし、3月15日には、聖心女子学の卒業式を首席で卒業する美智子に会いたくて、三島は聖心女子大学の卒業式を見に行きます。三島は正田美智子にぞっこんでした。

しかし、間もなくして、当時皇太子だった現上皇と美智子との交際話がにわかに沸き起こります。昭和32年3月聖心女子大学を卒業後、正田美智子に対する現上皇からのアプローチが本格的に始まり、8月に軽井沢のテニスコートでの出会い。昭和34年4月10日に御成婚。翌昭和35年2月23日に現天皇誕生です。

このことについて、三島の母、倭文重(しずえ)は次のように語ったという記録があります。倭文重(しずえ)が女優で演出家の長岡輝子と交わした会話です。
 

「あの子には、二つだけかなわなかったことがあるんです。」と倭文重。そのひとつが、ノーベル賞を受賞できなかったことなのだが、もう一つが三島の結婚に関してだった。「本命の人と結婚できなかったんです。お見合いをして、不成立の縁談で、唯一、心残りの方がありました。」「どなたですか?」と長岡が聞くと、倭文重はこう答えたのだ。「正田美智子さんです。」

これだけでも驚くが、さらに倭文重はこんな衝撃的発言をしたという。「もし、美智子さんと出逢っていなければ、『豊穣の海』は書かなかったでしょうし、自決することもなかったでしょう。」


1964年(昭和39年)に三島と美智子妃とがいっしょに収まった写真が、以前、ネット上にありましたが、すでに削除されて見ることはできません。その頃は、三島の遺作となる『豊饒の海』の構想を始めた頃。つまり、かつて、そして今も恋している美智子妃に再会することで、『春の雪』を書くきっかけとなったのであろうと推測できます。

正田美智子の素性については、元楯の会メンバー、村上健夫の言葉から推測できます。

元楯の会メンバー 村上健夫の話。
「川戸さんがニコニコ笑いながら、三島さんにとんでもないことを言い掛けました。

川戸:「『春の雪』を描いたのは妃殿下にフラれた腹いせって説もありますよ」

三島はこの質問に下を向きます。口をゆがめて黙ります。

川戸:「先生、見合いしたんですよね」
三島:「正式のものではない。歌舞伎座で偶然隣り合わせになる形だ」
川戸:「先生、断ったの? 断られたの?」
三島:「君たちも知っているように、あそこのお母さんはああいう人だから。」

三島はいつもの元気はどこへやら、がっくりと肩を落とし頭を垂れて、本当に辛そうです。「あそこのお母さん」が「ああいう人」なことなどメンバーは一人も知るはずがないのに、「君たちも知っているように」とはおかしな枕詞です。


以上が、元楯の会メンバー、村上健夫の話です。
 

補足すれば、、正田美智子母の富美は副島綱雄の養女で、上海にいた中国人だという説があります。
以下参照。
https://hama-sush-jp.pro/minaseyori/entry-12586411261.html

この失恋が執筆動機となって生まれたのが、あの超大作『豊饒の海』第一巻『春の雪』です。『春の雪』は侯爵家の子息である松枝清顕(まつがえ きよあき)と伯爵家の令嬢綾倉聡子(あやくら さとこ)との禁断の恋をモチーフとする恋愛小説です。宮家の皇子である洞院宮治典王(とういんのみや はるのりおう)と聡子の縁談によって清顕は聡子への想いを断念せざるを得なくなるという物語。三島は、ここに美智子妃殿下への自らの想いを重ねています。つまり、『春の海』のあの美しい恋物語とは、皇室に嫁ぐことで引き裂かれた恋。断たざるを得なくなった三島の美智子妃への痛切な想いを書いたものです。
 

そして、1970年(昭和45年)11月25日、『豊饒の海』第四巻をすべて書き上げた当日の朝、楯の会メンバー4人と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地へ向かい、あの事件を起こします。11月25日は、現上皇の誕生日です。現上皇(平成天皇)の誕生日とされた12月23日とは、実は別の方の誕生日です。このことは、226事件と深く関係があります(昭和天皇と秩父宮との確執)。


11月25日は、美智子妃の夫、皇太子の本当の誕生日でした。三島は、美智子妃と自分だけにわかる感情を埋め込むために、この日を敢えて選んで決行しています。そういう意味では、三島由紀夫とは、恋のために死を選んだ、究極のロマンチストです。

三島事件について、このような解釈をする人はいませんが、これが真実です。三島にとって「愛する」ということの精一杯の表現でした。そう解釈することにより彼の死は別の意味を持ちます。誤解に満ちたイデオロギーと切り離しましょう。彼の魂のために。

さて、そのように三島から愛された上皇后と上皇の末路は大変なことになりそうです。

日本国民は、天皇皇后時代、お二人は誰からも親しまれていたと思うでしょう。しかし、QMap Eriさんは次のように述べています。

福島原発の安全管理会社職員の会話と思われる電話を盗聴したRT(ロシア国営放送)の動画が去年までYoutubeにありましたが、今は削除されています。RTに問い合わせれば見られるかもしれません「アキヒトの了解は取ってあるか?...よし、あとはオバマからの連絡を待つだけだな(英語)」という内容です。
https://twitter.com/okabaeri9111/status/1134440491087360001

ここであらためて言うまでもないことですが、福島原発事故は、あらかじめ仕組まれたテロ攻撃でした。それを実行するにあたって、当時の天皇明仁はOKを出したわけです。米国大統領オバマと共にこのテロ計画に協力していたということになります。

この情報の真偽については確認する必要があるでしょう。ここでは、そのような情報がある、ということにとどめたいと思います。

そして、さらに、アドレノクロム疑惑です。イギリス王室や各国王族、バチカン、ローマ教皇まで、ペドフェリア問題については例外は許されませんので、もしも皇室に於いてこのことに関わってきたならばその存続は断たれるでしょう。