卒業旅行の思い出

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今日はお医者さんからちゃんと静養するように

注意を受けたので、スタバでのんびり。

カプチーノコーヒーとニューヨークチーズケーキチーズで今後のことを夫とおしゃべり。

もしかして、これも静養にならないのかな?

私にはかなりリフレッシュできました。

家で横になって目を使わないのが静養なのか?

線引がわからない💧




    

三十年前の卒業旅行


ワタシの大学卒業旅行は、

女子大生3人組でのヨーロッパ40日間かけて周る少し長めの卒業旅行でした。

私はその後日本に戻り、翌日には彼氏(現在の夫)とオーストラリア🇦🇺へ1週間行くことになっていましたので、新入社員研修が始まるの3日前までに帰って来れるようにヨーロッパから帰国。

ほか二人はそのままヨーロッパを旅してもよかったのですが、お疲れモードになってきたのでワタシと一緒に帰国。


これは🇩🇪シンデレラ城を見に行った帰りのレストラン。ちなみに、このとき着ている黒のハイネックセーター、今でも着ていますびっくり


当時、私たちは5人で行くはずでした。

親の反対を説得に説得を重ねて残ったのが3人。


なぜかというと、ドクロ湾岸戦争ドンッドンッ真っ只だったのです。

卒業旅行を計画していた学生は、諦めてキャンセルしている人がクラスの中で8〜9割くらい。

このご時世とは反対に、中東上空は通らずモスクワ側のルートからLONDONに入りました。


旅行会社はエイチ・アイ・エス。

まだ起業したばかりの会社で勢いを感じたのと、日本旅行やJALパックは高すぎて学生には手が出せません。

確か旅行会社に支払った内訳は

  • 往復航空券(帰国便の日時場所は自由)
  • 各国移動の航空券2回分
  • 宿泊費(3箇所×5泊分)
  • ユーレイルパス代

22万円くらいでカスタマイズしました。

その他の移動と宿泊代、移動代は現地で。


【宿泊費🛏朝食付き】

ロンドン:2泊分、パリ:2泊分、ミラノ:1泊分だったような。


【航空券🛩】

成田発飛行機→(モスクワ経由)→🇬🇧ロンドン飛行機→🇫🇷パリ飛行機→🇮🇹ミラノ。。。。。ヨーロッパの空港選択自由(フランクフルト)飛行機→成田着


【ユーレイルパス新幹線


以上がエイチ・アイ・エスに支払った額。


そして、ユーレイルパスであちこち周り

(🇮🇹ローマ、フィレンツェ、ジェノバ、ベネチア、🇨🇭スイス、🇩🇪ドイツロマンチック街道南から北まで各都市を周り)、スペイン🇪🇸やオーストリア🇦🇹も行こうかと思いましたが、1ヶ月と10日旅行してきて、帰国の1週間前にフランクフルトを最終都市に決めて予約をして帰ってきたという感じ。



    

旅のトラブル


その間トラブルはいくつか。

ベネチアで私がパスポートを盗まれて

ミラノに予定外の1週間滞在。

友達二人には観光しててもらって、私はミラノの写真屋さんでパスポート写真を作ってもらったり、警察行ったり、ミラノの日本領事館に出向いたり。

なので、この旅行での一番の思い出ある場所は

ローマ、なんと言ってもローマ』と言いたいところですが、

断然、ミラノです。

この期間、友達と別行動で一人でミラノの街をあちこち移動していたのと、英語がなかなか通じなくて会話集を頼りにイタリア語で地元の方とのふれ合うことが多かったので、かえって良かったなぁと思えるトラブル。

わたし、ミラノめっちゃ合うって思いました笑い泣き

いろいろ話すうちにお惣菜屋さんのおじさんと仲良くなったり、よく利用していたカフェのバーテンダーさんとも顔見知り、イタリア語も上手になって、夕方友達と落ち合うのですが、

日に日にミラノ通になってる私にびっくりてへぺろ

なんなら、このままミラノに住みたいって思いました。

あの頃は携帯もないので、友達との連絡手段はホテルのフロントだったような気がする。

時代だねぇ。


湾岸戦争で旅行客が少なかったので、

パスポートの発行が異例の4日目で取れたり、

ローマではエコノミークラスのお部屋の値段でワンランクアップの広くて綺麗なお部屋にしてもらったりで、いいことづくめブルーハーツラブラブ


ただ、湾岸戦争によるトラブルもありました。

ロンドンの2階建てバスに乗っているときに、反対車線のバスが爆発ドンッポーンしたり、

 

 

パリからミラノに向かう飛行機がハイジャックされ、出発前の出来事だったので飛行機内に10時間待機。無事犯人が取り押さえられたらしく、ミラノにむかえました。


なかなか体験できない出来事が起こった旅行でした。




    

旅の思い出🇫🇷


そうそう、あの頃は太陽電池のカード型の薄手の計算機がとても珍しくて、

なぜか私は3枚も持って行ってたの。

こういう↓ちゃんとしたのじゃなくて、カード型の薄手の計算機。

 

 

パリのニナリッチで、母と姉に頼まれた

レールデュタンの香水を買おうと計算機を

鞄から取り出したら、とても珍しがられて

店長さんがこれ一枚とレールデュタン交換しない?と持ちかけられ、太陽電池の計算機を渡して高級香水をゲットしたことも照れ

とてもお買い物中、良くしてくださったので、

しょぼい計算機もプレゼントしちゃったイエローハーツ

そしたら、旅行中困ったことがあったらおいでって言ってくださり、何かと相談にのってくれて良い思い出にイエローハートキラキラ

ここには、また来そうだわって予感が。

 

 



    

旅の思い出🇮🇹


それからイタリアでは、イケメン探しに

ジョルジョ・アルマーニのお店へハート

入った途端にイケメンに釘付けラブ

そしてまたさらに奥に進むと、またイケメンラブ

イケメン天国飛び出すハート

全員イケメンで自分がどんなタイプのイケメンが好きなのか?わからなくなるくらいのイケメンだらけラブラブグリーンハーツラブラブブルーハーツイエローハーツ

当時は、フランスイケメンも大好きだけど私はイタリアイケメン派でしたてへぺろ

 

 


でも、目ってすぐ慣れるのねウインク

お店から出る頃には、普通になる。

そしてお買い物も父と弟にネクタイ👔を

選んでもらってるころは、イケメンはどうでもよくなって、ファザコンの私は父の喜ぶ顔しか興味がなくなるという。。。アセアセ

あの入店したときのトキメキは何だったの?状態です。


そしてフィレンツェでは、そこの大学の学生しか入れない学食に入れたの。

フィレンツェ市内でエスプレッソを飲んでみようと立ちのみカフェに入ったら、そこはよくフィレンツェの建築系の大学の学生が利用するカフェだったらしく、飲み方を教えてもらったら仲良くなって、学食に行ってみたいとお願いしたら、守衛さんに頼んでくれて、学食体験出来たり。

 

 



    

旅の思い出🇩🇪


ドイツが一番滞在期間が長かった割に

あまり覚えていないのです。

ニュルンベルクやブレーメンの街並みを

薄っすら覚えているくらいで。

ドイツはがっつり日本人3人で行動してたからかな?

でも、シンデレラ城に向かう馬車で、

私がお馬さんのすぐ後ろに陣取っていたの。

お馬さんが急に止まってしばらく動かないと思ったら、肛門さんからおっきな💩が

にゅ~んと出てきたのは、はっきり覚えているわ笑い泣き笑い泣き笑い泣き

すごかった! 感動さえおぼえました。




    

旅の思い出🇬🇧

イギリスはロンドン市内だけの2泊。

2月のロンドンは霧と曇り空。

他の二人がショッピング好きなので、

ショッピング三昧。すでに旅が始まったばかりでお土産だらけ。

私は出費を抑えるために紅茶のみ。

公園散策と2階建てバスの爆破事件しか覚えていません笑ううさぎ

人との交流があまりないと記憶がなくなるみたいです。



もっといっぱい面白いことありましたが

この辺で。




    

旅の費用  札束


40日間のヨーロッパの旅の費用総合計

お土産代、食事、旅費、その他諸々すべてひっくるめて40万円を切っていましたよ


この費用は、初めてクレジットカードを作って

私だけは親に頼らずローンを組んで、

のち、2年かけて返していきました。

初めての海外旅行でした照れ



    

第二弾の卒業旅行先飛行機



その後、オーストラリアではなく、バリ島へ。

ヨーロッパ旅行中、彼氏と一回だけ電話で相談して急遽変更して段取りしました。

スイカ🍉ジュースにハマって、美味しすぎて毎日朝晩飲みました。

それと、ナシゴレンも毎日。

 

 



    

卒業旅行がきっかけでシャンパン


この卒業旅行をきっかけに、またパリへ🇫🇷

仕事も兼ねて足繁く行くことになります。

たまにイタリア🇮🇹も。

その影響で次男君がフランス🇫🇷留学することになります。


あの時代、海外旅行はハワイかグアムかサイパンかロスアンジェルスが多かったような。(もしかしたら英文科だったから、たまたま周りがアメリカ系への旅行が多かったのかな?)


赤薔薇赤薔薇赤薔薇


コロナと戦争とで

卒業旅行に行けないこのご時世。

早くあの頃のように、自由に旅行できる日が来るといいですねニコニコ





    

本日もお読み頂き

ありがとうございました照れ