信長の家臣だったそうな・・・&おまけの球体盛り実験 | 京都 カルトナージュ・FMD・ポーセラーツ・タッセル    アトリエ べにいろ

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四条大宮・丹波口近くの自宅にて開講中。
京都タワーの見えるマンション内のアトリエです。
少人数で和やかな雰囲気が自慢です。
お問い合わせ、お待ちいたしております。

昨夜の大河ドラマは本能寺の変でした。
どの俳優さんが演じても、やはり、良くも悪くも信長には惹かれます。
そう言えば、『信長のシェフ』も始まりましたね。


ドラマの中で本能寺の変が近づくといつも心がざわつきます。
そして、信長がいなくなった歴史は何となく退屈になります(-_-;)

そんな私ですが・・・
三年前に母方のいとこ夫婦が京都に遊びに来てくれました。
すると、「本能寺にお参りに行く。」というのです。
聞くと、そもそも母方の先祖は近江の出身で信長に仕えていて、宗派は信長と同じく本能寺を総本山とする法華宗本門流だと。
そして、本能寺の変で主君を失い、その後は関ヶ原の戦いに敗れ、
現在の四国 香川県に流れて行ったようです。

そして、また、逆流し?その末裔の私は本能寺近くに戻ってきております。

しかもです!
本能寺の場所です。
今の御池の本能寺は秀吉によって移転、建立されたもの。
元々の信長の常宿だった本能寺は今とは別の場所、
四条堀川・油小路を上がった堀川高校本能学舎、特別養護施設があるところにあったのです。

そんな事とはつゆ知らず、
何かのお導きでしょうか、
息子ふたりとも、この高校で多感な高校時代を本当にのびのびと過ごさせていただきました。

この辺りには南蛮寺跡も四条堀川を挟んで、北東、南西にとあり、
巨大な本能寺、何層もの南蛮寺がそびえ、宣教師たちも闊歩していたのでしょうか。
その後の秀吉によるバテレン追放令などもあり、
本能寺の変以後、この界隈の景色は全く変わってしまうのです。

四条堀川から堀川高校を望むと、本能寺や南蛮寺が瞼に浮かび、遥かなる信長の野望に思いを馳せ、その時代の躍動感が伝わってくる気がするのです。

そう言えば、長男、プレステ『信長の野望』を必死でやってましたっけ・・・
志高く、人生を歩んでもらいたいものです。

今日は何のブログでしょうか・・・?失礼しました(-_-;)


☆おまけ
nyan先生が実験をやっておられましたので、☆
私も見よう見まねでやってみました。
いろいろと配合や大きさも変えて・・・
出来るものなんですね!!装飾に使おうかしら。



↓ 怖いもの知らずに貼ってみました(-_-;) 

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