今日は父の日ですね。
なので、今日は
父の思い出話を
私はお父さんっ子でした。
生まれたときから
父は出張が多く
1.2ヶ月留守にして
帰ってくると一週間ほどいて
また出張という
ほとんど母子家庭状態です。
にもかかわらず
私は父が大好きでした。
久しぶりに帰ってくると
上野動物園、豊島園など
父と2人
たまーにお隣のひろしくん
という幼なじみの男の子と
一緒に出かけました。
私は小、中、高12年の学校生活の中で
一度だけ通信簿で
「2」を取ったことがあります。
忘れもしない
小学校四年生のとき
図工でした。
なぜかというと
運動会の演技で使う盾を
段ボールに絵を描く作品だったのですが
ほとんど父が描いてしまったのです。
小学校四年生の子が描いたものではないのは
一目瞭然でした。
もちろん先生もわかって
それはルール違反ということで
2学期の図工の評価は「2」
それまで5段階評価で
2以下をとったことはなかったので
それはショックでした。
でもね
そのことで私は
父を責めた記憶がないのです。
なぜか
というと
それは父の思い出話を聞いていたから
父は15歳のときに
父親を亡くしました。
父の父親は海軍の軍人でした。
戦地に行く前日に
学校で飛ばす飛行機を
お父さんは作ってくれたそうです。
学校の宿題だったのでしょう。
次の日
それを校庭で友達と飛ばしていると
お父さんが校庭の外でじっーと見ていて
そのとき
お父さんと目があって
微笑みあったそう。
それが
お父さんとの別れの最後だった
そうです。
お父さんは
もう生きては帰れないと思い
息子に何か残したいと
その飛行機を作ってあげたのだと
思います。
私は父のその話を
聞いていたので
父が私の盾を描いてくれたのを
非難できませんでした。
お父さんとの別れの
最後のシーンが
私の中でいつまでも残っていたのです。
父親から作ってもらった飛行機
作品は違えど
父はそれを自分の娘にも
したかったのだと思います。
通信簿で「2」をもらったのは
ショックだったけど
父を責める気にはなれなかった。
それは
15歳で父親を失った父の悲しみ
に比べたら
ちっぽけなものだったから。
子どもって
大人が考えてる以上に
深く考えているのでしょうね。
我ながら
小学校四年生の私
凄いな!
って思いました。
今
そんな想像力があるかしら?
って
子どもって
大人が思う以上に
いろんなこと考えているんですね〜
そんなこと考えた
父の日でした
私の父は
24年前に亡くなってしまいましたが
今でも忘れられない思い出です。
お父さんありがとう❤️
