きっと来てねと 泣いていた〜♪
だいたい 演歌は聞かなかったけど
宗右衛門町ブルースは、少し思い入れがある
私は生まれも育ちも愛媛県なんだけど
(寅さんの調子で↑)
小学校までは、転々としたところもある
話せば長い(それをショートカット!)
母は田舎の9人兄弟の末っ子
上の兄姉は、親子ほど年が違うとか
早逝したとか、で
本来なら跡取りではない母が
後を継いだ
母の父(私の祖父)はお人よしで
格別勉強もできない
田舎の土地持ちのボンボン
祖父の弟は 昔の師範学校を出て
頭も良く校長先生の中の
特別な校長先生になったとか、で
長男と次男の差がありすぎる
祖父は、お金や土地を騙し取られたり
さんざんな中、
年頃になって
県外で働いてた母は
養子をとって
跡を継ぐべく呼び戻され
縁あって、お見合いで父をもらった
もらったというところがひっかかる
母の女心だった![]()
遠くからも人が見にくるほどの美男子の父と
そこそこな母![]()
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(ちなみに私は母似、弟は父似••••••••••)
祖父は、実の息子ではなく養子になった
父に頼らざるを得ない我が身が辛く
あまり、養子の父を大事にしなかったらしい
若かった父は、耐えかねて
母と私を連れて まずは松山→大阪へ
大人になって聞くところによると
ブラジルに行こうか、という話も出たけど
父が英語の勉強するのは嫌だと言ったため
しばらく大阪で落ち着いて生活していた
私たちは 大阪市此花区に住んでいて
サラリーマンの父と工場に勤める母
天使保育園というところに通う私
(ググってみたら天使保育園て、まだあった!)
しばらくは親子水入らず楽しく暮らし
父は 何か事業を立ち上げようと計画も
立ててたらしい
けれど、そこへチチキトクの知らせがあり、
とるものもとりあえず
私を連れて母は実家に帰る
船に乗ったところの記憶は 不思議と
鮮明に残っている
母いわく、
本当に急いでたんで、夜の銀行に頼み込んで
開けてもらってお金をおろして
船に飛び乗ったので、、
保育園には辞めるとも言えず
それは申し訳ないことだったと
後々まで言っていた
ということで、後から父も
アパートを引き払ったりして帰ってくる
祖父は老衰で亡くなり
後を継いだ父と母は
その後旅行以外で大阪へ行くことはなかった
でも、親子水入らずのアパートの暮らしは
ささやかでも幸福だったようで
親子で映画を見に行ったことや
生活費を決まった分しかくれないので
着物など、どれだけ質屋に入れたかなど
懐かしそうに話してくれたものだ
(ボケる前のこと)
たくさん聞けてて良かったと思う
私が大阪の叔父のところに住んで
デザイン学校に行くようになり
就職も結婚も関西ということになったので
年に数回の帰省になったけど
その度に 父とご飯やスナックの
カラオケのお付き合いをするのが
楽しみだった![]()
父が、日々どんな歌を聞いてたとか
あまり知らなかったけど
昔は、森進一の襟裳岬とか
よく歌ってた
ある時、宗右衛門町ブルースを歌った
私は 父が歌ったことで
はじめて知った歌だった
あの小さかったころ
祖父がもう少し長生きしてくれたら
きっとそのまま
大阪で暮らしたんだろうと思う
タラレバだけど
そうだったら、私もまた
今と全然違う人生だったはずだ
🎵いちょう並木に春が来る
君にも来るよ 幸せが
なぜかかなしい 宗右衛門町よ
さよなら さよなら もう一度だけ
明るい笑顔を見せとくれ〜〜〜
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