皆さま、おはようございます!
鳴門市の池谷駅と鳴門駅を結ぶ総延長8.5キロのJR鳴門線。
前身は大正5年に開業した阿波鉄道の路線(昭和8年に国有化)
であることは、これまでブログで何度か書きましたが、
最初の終着駅は鳴門市ではなく手前側の撫養(むや)駅でした。
鳴門駅の予定地付近には塩田があり、
付近の住民による反対運動が起きたために建設が遅れたらしい。
その後の昭和3年に鳴門線は全線開通しますが、
12年間は終着駅だった撫養駅に今月初旬に行ってきましたよ。
撫養駅が「かつて終着駅だった」ことを事前に知っていた自分。
終着駅らしい巨大な駅舎を持つ駅かと思いましたら意外や意外、
撫養駅は昭和47年に無人駅化されてたそうで、
昭和50年に建て替えされた駅舎は出札窓口を持たない簡易駅舎でした。
待合室の中を覗きます。
自分がここを訪れたのは夏休み中のお昼前のこと。
待合室の中には部活から帰る途中の高校生が大勢いたので、
撮影はここまでです。
駅巡りも結構気を使いますのよ。
ホームとの境にパイプで出来たラッチ(改札柵)がありましたが、
無人駅化後もしばらくは、簡易委託駅として
切符の販売(構外で?)や改札業務が行われていたみたいですね。
徳島駅方面行きの列車が到着、
待合室にいた高校生たちを見送ります。
これで気兼ねなく撫養駅の写真が撮ます。ラッキー!
まずはホームの様子からです。
撫養駅は開業当時から単式ホームがあるだけの駅でした。
それとは別にもう1本、
構内には貨物ホームらしきモノが残ってまして…
場所は駅舎を正面にして左、鳴門駅側にソレがあるのです。
正面に見える台形の土台ですが、
これって貨物ホームで間違いありませんよね?
線路は奥側にあったはず…
ホーム跡の上には上屋?倉庫のモノと思われる基礎も残ってました。
ホーム跡の上から鳴門線の線路を見る。
現在は雑草で覆われてますけど、
昔はここに引き込み線が敷かれていたのではないでしょうか?
そこでチェックしたのが
国土地理院のサイトから転載した古い航空写真です。
下は旧駅舎が写る昭和36年に撮影された写真ですが、
赤色で記した所がホームらしきモノが残る場所。
その上には倉庫らしき建物も写ってましたよ。
鳴門線では昭和59年まで貨物輸送が行われてたとのこと。
無人駅化される昭和47年までは
撫養駅でも貨物の取り扱いが行われていたのではないでしょうかね?
池谷駅側から鳴門駅に到着した貨車を切り離し、
スイッチバックする形で撫養駅に引き込んでたのだと思いますけど…
そんなことを想像するだけでワクワクが止まらん!
駅前には古い建物(廃屋?)がありましたけど、
簡易委託駅時代はここで切符が売られていたのでしょうか?
最後はどうでもいい話です。
撫養駅のホームの上に信号用器具箱がありましたが、
ここを目を凝らして見たところ…
謎な足跡がいっぱい付いてる!?
人だけじゃなくケモノの足跡もあります。
これってどういうことなん!?
誰かがイタズラしたモノだと思いますけど…
貨物ホーム以上に謎だわ。
撫養町の玄関口として開業したことから、この駅名が付けられた撫養駅。
鳴門駅が開業した際に、一時的に駅名をそちらに譲った時期があり、
その間は「ゑびす前駅→蛭子前駅」を名乗っていたそうです。
ということは、当時の鳴門線は
教会前駅、金比羅前駅、ゑびす前駅の3駅が並んでいた訳でして…
駅名を見てすごく縁起が良さそうに感じた鳴門線でした。
↑(池谷駅方面)
撫養駅(令和元年8月6日)
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