皆さま、おはようございます!

 

昨日は幼稚園の卒園式を撮影する仕事に行ってきました。

最後に先生が、

「卒園する園児の皆様は、

東日本大震災の時にお母さんのお腹の中にいました。

不安な生活の中でもお母さんが必死になって出産し育て上げた子たちです。

その命を大切に、強く生きてください。」

という挨拶がありましたけど、

あの日から間もなく7年が過ぎるとはビックリ。

時間の経過って本当に早いです。

そんな中で自分は今日~明日と飲み会。

こうして日々、ワイワイ楽しめることにも感謝しなきゃなりませんね。

 

今朝はかつて「炭鉱の街」として栄えた、芦別市内にある

根室本線・上芦別(かみあしべつ)駅の訪問記です。

実は自分、上芦別駅が石炭産業で栄えていた駅だったと知ったのは

ここを訪問した後日のことでして…

 

駅舎周辺は非常に閑散としていたので、

そんなことを知る由などまったくなかったのですよ。

現在の上芦別駅の1日当たりの乗車客数は10人前後らしい。

 

ちなみにこちらが、石炭列車の往来で活気があった

昭和35年に撮影された上芦別駅の航空写真でした。

画像の右にズラリと並ぶのは炭鉱住宅かな?

右上の角にチラッと写っているのは昭和32年に竣工した芦別ダムです。

ここから三菱芦別炭鉱・辺渓三坑までは

昭和39年に閉山するまで

三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道が伸びていたそうですよ。

 

こちらは駅の北側にある踏切で、

アスファルトで線路を塞いだ跡があるのを見てたのですが…

どうやらこれが、専用鉄道の廃線跡だったみたいですね。

 

線路はこんな感じで伸び、この先で大きく右に折れてたとか。

炭鉱や専用鉄道の遺構(廃線跡)は今でも数多く残っているようで

見に行きたいとは思ってるのですけど、

仙台からだと結構遠いのよね、ここは。

 

そんな「炭鉱の街」にある上芦別駅。

大正9年に開設された駅で、かつてあった木造駅舎は

道内でよく見かけるこのタイプに変わってましたよ。

根室本線のこの周辺は、主要駅の芦別駅を除けば

平岸駅-島ノ下駅(昨年3月に信号場に変更)間で

同タイプの駅舎が4駅存在する、

駅舎ファン的にはちょっぴり寂しい区間でした。

 

駅舎の中も基本的には同じ仕様です。

駅舎のスペースほとんどは

職員さんや保線作業員さんの詰所に割かれているので、

待合室は意外に狭めなのよね。

 

待合室内に出札窓口がありますけど、

上芦別駅は早々に無人駅化されたはずですので、

ここが使用された期間はほんのわずかだったはず。

 

跨線橋を渡ってホームに入ります。

 

上芦別駅は列車の行き違いが可能な島式ホーム1面2線構造でした。

駅舎とホームまでの距離が遠く、広い構内が目につきますが、

これこそが、かつて炭鉱列車で栄えた駅の証なのですよね。

 

昔はここに数多くの線路が敷かれていたらしく。

 

跨線橋にはレトロな看板が掲げられてましたけど、

跨線橋は昭和40年代に造られましたので

この看板もその頃から使われていたモノなのでしょうか?

 

今は道央-道東を結ぶルートは

昭和56年に開通した石勝線経由に変わりましたけど、

それ以前はここが主要幹線。

上芦別駅も昔は、特急列車や急行列車、

数多くの貨物列車が行き交う駅だったのでした。

それが今じゃ、1日に10往復の普通列車とわずかな貨物列車だけとは…

栄枯盛衰を地で見たような駅風景でしたわ。

 

最後は列車を見送って〆。

残念ながら乗降するお客さんの数はゼロだったようです。

でもこんな景色がキュンキュン来ちゃうのよ!

上芦別駅大~すき!やっぱりまた再訪せねば。

 

北海道の炭鉱跡もいつかは周ってみたいのですけど…

駅巡りを並行して始めたら死ぬまで終わらなそうな予感。

 

 

訪問駅リスト(JR線)
根室本線

↑(滝川駅方面)
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上芦別駅(平成27年10月21日)
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↓(根室駅方面)

 

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