皆さま、おはようございます!
長年、鉄道ファンをやってますと
「あの時あの場所に行っておけばよかった」
と思う機会が多々ありまして、そんな場所のひとつが
美祢線・重安(しげやす)駅でした。
最近は限られた地区でしか見れなくなったホッパ車による貨物輸送が
美祢線では平成21年まで見れまして、発着駅がここ重安駅だったのですよ。
時すでに遅しな感じではありましたが、
貨物列車が廃止されて5年が経過した重安駅に訪れました。
駅名標がすぐにはわからずに「ここが本当に重安駅?」と思いましたが…
ありましたよ!
駅名標、庇の陰に隠れていたようですね。
重安駅は大正5年、美祢線の前身である美祢軽便鉄道の手により開業した駅で、
大正9年に国有化されるまでは同鉄道の終着駅だったそうです。
かつては産出される大理石や石灰石輸送で賑わった重安駅。
そのピークは昭和40年代半ばだそうで、当時はもちろん有人駅でした。
現在は貨物輸送が廃止され無人駅化、
乗車客数も10人前後/日まで減少してしまったとかで…。
貨物の運転扱い要員が最近まで配置されていたためか、
出札窓口は有人駅時代のままで残されてました。
ここが板で塞がれていると、駅ファンのテンションは一気に下落しちゃいますのよ。
重安駅は島式ホーム1面2線構造で、
駅舎とホームは構内踏切で結ばれております。
ホームには開業当時に建てられたと思われる古風な待合室があるのですが、
待合室に貼られている番線案内を見ると…
長門市方面に2番線、厚狭駅方面に3番線の表記がありましたが、
とすると、1番線はいずこに?
振り返って駅舎を見直しました。
どうやら、駅舎側にあるこの低いホームが1番線だったみたいですね。
現在は、厚狭駅方向に繋がっておらず、
ホーム半ばで線路がカーブしてしまう1番線ですが、
国鉄時代は長門市駅方向にまっすぐ延びておりました。
美祢軽便鉄道が最初に開業させた区間は
重安駅‐伊佐駅(現在の南大嶺駅)間でしたので、
その頃はここを旅客列車が発着していたのかもしれません。
さてさて、最初に書いた「重安駅にもっと前に来たかった」理由ですが、
こちらの昭和51年に撮影された航空写真を見てくださいよ。
広大な構内に無数に広がる側線。
貨物好き&駅好きにとって夢のパラダイスでしたの!
昭和39年の専用線一覧によると、
重安駅からは平成21年まで現役だった小野田セメント専用線の他に、
徳山曹達とセントラル硝子の専用線も延びていたようです。
白く映るのは石灰石を積んだホキ、右下に写るのは砕石輸送のトキかな?
専用線が廃止されると設備は撤去され、
今では貨物輸送が華やかな頃の面影を見ることは出来なくなってしまいましたが、
自分が訪れた時は辛うじて、
貨車に石灰石を積み込むためのコンベアの一部が残されてました。
あの日から2年が経過しましたけど、こちらも現在は撤去されてしまったようです。
う~ん、寂しい!
ホームには大理石製の案内看板が立てられてました。
この奥の雑草の下には、今でも側線が眠っているのかしら?
重安駅に来た記念に大理石をすりすり。
駅の西側には、今でも石灰岩の山肌を見ることが出来ますよ。
重安駅で運行されていた貨車は、
”赤ホキ”と呼ばれるレンガ色(赤3号)のホッパ車(ホキ9500)でした。
かつては全国各地で見ることが出来たこの類の貨車も、
美祢線の貨物列車亡きあと、現在見れるのは、岐阜県大垣の西濃鉄道のみです。
ここも早めに訪れたかった地ですけど…
以下、このブログの3行目の文にループする我が人生でした。
↑(厚狭駅方面)
重安駅(平成26年6月4日)
















