皆さま、おばんです!
今晩は眼下に八木港が見渡せる、
八戸線・陸中八木(りくちゅうやぎ)駅です!
旧藩時代から巻き網船の係留施設として栄えた八木港。
大正時代に入ると漁船の近代化(大型化)が進み
係留場所が手狭になったことから、
昭和7年に水面の埋め立て工事が竣工され、
現在の八木港の姿になったそうです。
昭和50年に撮影された陸中八木駅の航空写真より。
そんな八木港の真ん前に、大正14年に開業したのが陸中八木駅でしたの。
ちなみに当時の八戸線は、ここ陸中八木駅が終着駅で、
久慈駅までの延伸は、昭和5年まで待たなきゃならなかったようです。
今では無人駅になってしまった陸中八木駅ですけど、
駅前広場の広さに、当時の終着駅の面影がバッチリ残ってましたよ。

太平洋岸が目の前にある陸中八木駅も例にもれず、
3年前の東日本大震災では大きな津波被害に遭ったんだとか。
場所を考えると、ほぼ直撃だったんじゃないの?
簡易駅舎の中には、
地元の小学生の労いのメッセージが壁一面に貼られておりましたけど、
陸中八木駅の駅構造ですが、
震災前は相対式/島式ホームによる複合2面3線だったようです。
復旧工事では港側の本線を閉鎖、保線車両の側線としたために、
現在は相対式2面2線構造に変わっておりました。
位置的には以前と変わらないはずの陸中八木駅ですけど、
上の航空写真を見ると、
この側線には貨車列車が留置されていたみたい。
八木港駅に揚げられた鮮魚の積み下ろしでも行われていたのかしら?
八戸線の貨物列車、マジで見たかったです。
ちなみに陸中八木駅ですが、八戸線の岩手県内区間では唯一の
列車交換が可能な駅だったりしますよ。
こんな陸中八木駅ですが、
鉄道ファン、中でも駅ファンの間ではちょっと知られていた存在でしたの。
というのも陸中八木駅、JR線内で
最後まで腕木式信号機が使用されていた駅だったのでした。
駅の北側にある空き地の中には、
イギリスが発祥とされている腕木式信号機、
日本の鉄道でも創生期の時代から全国各地で使われておりました。
オイルランプ等で灯した光の前に
可動式の色付フィルターをかざすという、簡単な構造の信号機でしたが、
JR線では平成17年まで使用されておりまして、
最後の使用駅が、ここ陸中八木駅だったのですね。
おそらくはこの腕木式信号機、
なぜ、本線や駅から離れているこの空地に立てられたのかしら?
謎は深まるばかりです。
他にも階上駅や種市駅で保存されている腕木式信号機ですが、
聖地はなんといっても、ここ陸中八木駅。
陸中八木駅訪問の際はぜひ、レトロな信号機もご鑑賞あれ。
八戸線
↑(八戸駅方面)
長苗代駅(平成25年1月13日)
陸中八木駅(平成25年2月10日)












