皆さま、おばんです!
今晩も八戸貨物線の廃線跡ネタでいかせて頂きますよ。
(前回までの記事)
【湊駅廃線跡パラダイス①】本八戸駅から延びる廃墟高架線を眺めてみた。
八戸市内には3つの魚市場があります。
鮫地区にある第一魚市場、白銀地区にある第三魚市場、
そして小中野地区にある第二魚市場です。
その第二魚市場の近くにあったのが、
八戸貨物線の終着駅である湊駅でした。
昭和31年に撮影された湊駅付近の航空写真です。
湊駅の開業は今から120年も前の1894年(明治27年)のこと。
東北本線の前身である日本鉄道の終着駅として開業し、
八戸港から水揚げされる水産物や、
工業製品を全国に輸送するための重要な物流拠点として、
大きく栄えた駅だったそうです。
開業当時から行われていた旅客営業は
昭和19年に終焉を迎えますが、
貨物輸送の取扱量は下がることなく、
戦後も化成品や木工品・水産物の輸送拠点として、
大いに活躍していたんだそうで。
こちらは昭和50年に撮影された湊駅周辺の航空写真です。
上の写真が撮影された頃には、八戸市第二魚市場も完成し、
そこまで続く貨物専用線も開通しているのがわかりますよね。
ちなみに白く見える貨車ですが、
このレム5000、全部で1,500両弱も製造されたのですが、
試作車も含め最初に集中配置されたのが、
この湊駅だったのですよ。
いかに湊駅が重要拠点であったかがわかります。
そんな物流の拠点であった湊駅も、
モータリゼーションの波には勝てず、
昭和60年に、90年にも及ぶ歴史の幕を降ろしてしまったのでした。
そして現在の湊駅ですが、大部分が緑地帯として整備され、
そんな緑地帯にひょっとしたら
今でも湊駅の遺構があるのではないかと思い、現地を歩いてみました。
ここからレポの始まりです。
まずはこちらから。
黄金週間中だからなの?
人っ子、1人すらも見えなかった5月5日の八戸港でした。
言いがかりじゃないんですけど、
船の数が昔と全然違ってるんですよね。
一番上の画像を見てください。
ぎっしり並ぶ船の姿を。
八戸港の水揚げ高、最近は減少しているんでしょうか?
そして港の背後にあるのが、
見渡す限り緑!
緑地帯だから当然か。
まず見た印象ですけど、湊駅そのものを盛土で埋めたような感じでした。
湊駅の遺構はひょっとして、この盛土の下?
歩道から左側が湊駅の跡地はずなんですけど…
完全に緑地帯に変わってしまった八戸貨物線の湊駅。
本当にここを、
昔は貨車が行き来していたのだろうか?
こんだけ景色が変わっちゃうと、
そんな気持ちにもなっちゃいますよね。
ここに湊駅の駅舎があったらしい。
正面に見える御前神社の位置が、
もともと湊駅の駅設備があった場所です。
こうも変わると、遺構探しもやはり無理なのだろうか。
大きな収穫もなく、もともと湊駅があったとされる
御前神社の辺りを歩き回っていたそのとき、
突如、視界の中に飛び込んできたものが!
!!!
わかりにくいので、ズームアップ!
まだまだ分からんので、さらにズームアップ!
わかります?目の前にゼブラゾーンがあるのを。
ゼブラゾーンが描かれているコンクリートブロックは、
もう、これの正体がわかりましたよね。
そうです。
湊駅のホームが現存していたのですよ!
石積み構造やホームの高さを見ると、
八戸駅3番ホーム(4・5番線)南側に残る
明治時代のホームに似てますので、
こちらは八戸駅に残る、明治時代のモノと思われる低いホームですよ。
こんな感じでそれなりの収穫を得ることが出来た、
湊駅の跡地探訪でした。
このあとは緑地帯の桜を見ながら、のんびりと時間を過ごしましたとさ…
…な訳なく、この後も廃線跡を辿って歩き回っていたのでした。
次回に続きます。
【湊地区廃線跡③】八戸第二魚市場に繋がる貨物線跡(平成25年5月5日)














