皆さま、おばんです!
その昔、
貨車の追っかけに夢中になっていた20年ほど前のことですが、
仙台周辺で「陸奥湊駅常備」のセメント貨車をよく見かけました。
住友セメント所有のタンク車で、
写真は大越駅常備車ですが、陸奥湊駅常備車も同形車両です。
当時、常備駅の陸奥湊駅のことなんか、
全然気にも留めていなかったのですが、
つい先月、陸奥湊駅にお仲間さんと行ってきたんですよ。
今回はその時のことを、じっくりと書きたいと思います。
八戸線・陸奥湊(むつみなと)駅です!
画像の右側に写る巨乳マダムヤンについては、こちらをご覧くださいね (o^-')b
先ほどの写真にある貨車、
この陸奥湊駅から延びる貨車専用線を通って、
八戸セメントの工場まで出入りしていたんですね。
この工場、実に歴史が古く、
大正7年に操業開始をした日出セメントが前身で、
後に磐城セメント、住友セメントを経て、
現在は住友大阪セメント系の八戸セメントになりました。
ちなみにこちら、昭和51年に撮影された航空写真で、
もう、蟻んこのように並ぶ貨車を見ただけで、
自分、萌え萌えなんですけど (´Д`;)
でもこれ、今から36年も前の写真なんですよね。
そして、八戸セメントの工場まで延びる専用線が、
残念なことに、昭和61年にはセメント貨車が廃止になり、
八戸セメント専用線も廃線になってしまいました。
ところが、27年を経過した現在でも、
八戸セメントも元気に操業中ですし、
機会を見て、一度じっくりと廃線跡を歩かないといけませんね。
こちら、陸奥湊駅の南出口です。
現在の橋上駅舎は2代目のもので、昭和58年に建造されました。
初代駅舎も現在の駅舎と同じ位置にあったようですが、
初代駅舎の面影は、
駅舎真下の石積み位しか確認することが出来ませんでした。
陸奥湊駅は大正15年に開業しました。
島式ホーム1面2線の姿は、
開業当時から変わっていないようです。
ただし、
専用線があった当時に使用された側線はすべて撤去されてしまい、
わずかな部分でも、専用線の形跡が残ってればな~
なんて気持ちで、構内を見渡していたのですが…
陸奥湊駅の自由通路から覗いた駅の構内なんですが、
緑色の○印を付けたところ、
専用線が分岐していた部分が、カタチになって残ってました。
この場所から分岐して専用線が延びていたとすると…
あらま、上の6枚目の写真(陸奥湊駅・南口)って、
廃線跡だった場所から撮っていたのね、自分 (ノ_-。)
(後から気づくことなんて、しょっちゅうですから)
改めてみると、
興味深いポイントの多かった陸奥湊駅でした。
イサバのカッチャに気を取られている場合じゃなかったみたいです。
陸奥湊駅(平成24年3月11日)








