一夜明ければ、またもや
『山岡鐵舟片想いジジイ・・・』
にとんぼ返りだが、『山岡鐵舟』と云えば、一番の功績は、あの『江戸城無血開城』に向けた、謹慎中の慶喜公と勝海舟の命を受けた、
『官軍総督府参謀・西郷隆盛との膝詰め直談判・・・』
だけのように云われたりするし、一面の、もう少し踏み込んだ人には、
『剣禅一如の大哲人(=豪傑)・・・』
と謳われたりして居て、一般凡夫(=庶民)から見たら、何処かしら
『面白味に欠ける(=近寄り難い)士(もののふ)・・・』
のように受け取られるかも識れないが、そんな鐵舟が、糟糠の妻『英子(ふさこ)夫人』を
『女放蕩で泣かせ、呆れさせた時代が有った・・・!』
と云う話は、意外と語られて居ないかも識れない・・・?!
実は、この鐵舟居士・・・!
身の丈6尺2寸(=186cm)にして、体重が28貫目(≒105kg)も有る巨漢だったらしく、更に剣と禅で鍛え練った身体と丹力を持ち合わせて居たから、
『あっちの方・・・』
も生中の男など脚元にも及ばない『強精』だったらしく、剣術の稽古は身体を遣って居るからまだ善いが、座禅を組んで居たり、時には用を足しながらも、突如、肚の底から大声を発するほどの英気の持ち主(=変わり者)だったそうで・・・!
そんな鐵舟が、英子(ふさこ)夫人を妻(め)とって二、三年経った頃から、夫人に向かって、
『色情とは不思議なモノだ・・・?!』
と云い始め、既に、清川八郎や坂本龍馬、水戸藩氏と云った『尊王攘夷派』に交わって、国事に奔走する中で、
『おんな道・・・』
にも深入りするように為り、今年のNHK大河ドラマの舞台と為って居る
『遊郭・吉原・・・』
にも足繁く通うに為ったようで、そのあまりの放蕩ぶりに、一時は、養子に入った『山岡家』の兄妹や親戚筋から、英子夫人に
『あんなヤツとは、離縁しろ・・・!』
との声は掛かるし、終いには親戚一同から『絶縁』を申し渡されるほどの
『剛棒ぶり・・・?!』
だったらしい・・・(笑)
然(し)かも、その体躯と面立ち(=落ち着いた男ぶり)から、吉原遊女(=花魁)にも
『すごくモテた・・・!』
と云うから、更に始末が悪い・・・(笑)
ただ・・・、そこで、そこらの普通の女性と違うのがこの
『英傑妻女・英子夫人・・・』
で、そのあまりの放蕩ぶりに、ついに兄妹、親戚から『絶縁』を云い渡されても、
『国事に忙しければ、色んな付き合いも有るのだろうから・・・?!』
と想って、我が夫の『色情狂』を庇って居たと云うから、こちらも並みの女性では無い・・・!
しかし・・・、『維新』も成って、一時は、その命も危うかった主家の徳川家(=慶喜公)を『駿府(=静岡)』に落ち延びさせ、自分も、それに随い徳川家臣として静岡に移ってからも、鐵舟居士のこの病気は止まず、三人の子を英子夫人に抱かせたまま、自分は、西郷らの新政府に請われ、嫌々ながらも、江戸改め『東京』と為った首都に出てからも、相変わらず『おんな放蕩』を改める気配は無かったと云うから、困ったモノだ・・・(笑)
尤も、維新(=無血開城)前夜から昵懇に為った
『勝海舟・・・』
など、後に、公然と
『妾5人に、子が7人・・・!』
と語り継がれて居るほどだから、当時としては、こんな『男の道楽』は珍しくは無かったとは想うが、それにしても、一応、仏門に入り、禅の道(=修行)で『悟りの境地』を求めて居る求道者としては、些か首を捻りたくなる仕儀にも想えるが、何事にも拘わらない鐵舟居士は、そんな殊勝な考えに至ることは無く、相変わらずの『おんな放蕩』を繰り返す訳だが、後に、或る夜、変わらず『吉原』に揚がって遊び、夜も更けて床に寝て居た鐵舟の枕元に、駿府に居るはずの英子夫人が青白い顔で座って居るのに気付き、想わずハッと飛び起き、
『お英(ふさ)ではないか・・・、どうした・・・?!』
と訊ねると、その影は一言も発せずスッと消えたと云う・・・。
そのことに不吉を覚えた鐵舟は、翌日、静岡へ跳んで帰り、英子夫人に、しみじみとした口調で、
『おまえは、怖い女だな・・・!』
と云い、前夜の顛末を語ると、英子夫人は、胸に差して居た懐剣を抜き、
『放蕩を止めて下さらなければ、この三人の子を刺し殺し、わたしも死ぬだけです・・・!』
と凄んだと云うから、スゴイ・・・!
そこから、二人で肝胆相照らして語り合うと、鐵舟は、自分のおんな狂いは、
『禅を極めるための、色情の修行のためだった・・・』
と訳を語り、語られた英子夫人も、根が悪い人間では無いことは認めて居るから、
『そんなことも、有るのかも識れない・・・?!』
と云う気に為って気を鎮めると、鐵舟は、
『もう、オマエに心配は掛けぬよ・・・!』
と云って、それ切り『その道』を断ったと云うから、その断ち方にも畏れ入る・・・?!
後に、鐵舟居士は、臨終を看取ってくれた医師(=千葉周作の子)が、
『本当に禅の修行をするには、情欲の道を断たねばいけませぬか・・・?!』
と訊ねたのに対し、
≪ 情欲は生死の根本だから、これを断たぬ間(うち)は、いくら禅の修行をしたと云っても、皆半途にあるのだ・・・!≫
と応え、
『修行する者が女人を遠ざけるのは、臭いモノに蓋をするようなモノで、あんなモノは「断色」では無い・・・!』
と喝破し、
『本当に色欲を断ちたければ、進んで色情海の激浪の中に飛び込んで、鋭意努力してその正体を確かめなければいけない・・・!』
と語ったと云うが、おそらくこのことを、その英子夫人との語り合いの時に云い、面前で聴かされた英子夫人も、
『然も有りなん・・・!』
と想ったと云うことだろうが、そのこと自体並みの夫婦の会話では無いし、若しこんなことを云ったら、普通の夫婦なら、妻から、
『この夫(ひと)は、狂って居る・・・!』
と云われ、三行半を突き付けられるか、今なら、直ぐ様、
『離婚届と病院送り・・・』
だろうな・・・?!
このジジイは、この話を読んで、この一般人の感情(=常識)では理解し難い
『色情域からの超越心情・・・』
を理解出来るのは、最近の人間では、若い頃から結婚や離婚、不倫で生きたいように生き、最後はその苦界から抜け出るために剃髪、出家し、京都に庵を結び、一方では女性作家として成功した
『瀬戸内寂聴尼・・・』
が剃髪し仏門に入る決意した時の決意に繋がる部分が有るのかも識れないと、ふと頭に浮かんだ次第だが、人間の生命の根本を為す
『色情海・・・』
と云う海は、斯くも深く波荒い世界らしい・・・?!
(画像は、kyoto-np.co.jpより拝借)
寂聴尼の話は、余談の余談だが、この『傑女』も、おそらくは、鐵舟云うところの『色情の海』に飛び込み、潜り浮かんで来ての後世だったのでは無かろうか・・・?
このジジイは、鐵舟居士の妻、英子夫人が、鐵舟が没した後に、実兄の『高橋泥舟』らに語り、勝海舟が監修した
『女士道・・・』
と云う書籍が、明治の30年代前半(=35年)に出版されて居ることを識り、Netを漁り、Amazonは云うに及ばず、『日本の古書店屋』サイトも『ヤフオク』も『メルカリ』も漁ったが、一冊もヒットせず・・・!
然からば・・・と想い、最後は、国内で出版された書籍ならほとんど全冊が揃って居ると云う
『国立国会図書館・・・』
にTELし、お忙しい中、此処の蔵書を検索して貰ったら、在った・・・!
『鐵舟夫人・英子談話『女士道』・・・』(国会図書館・デジタルサイト)
【※ 本登録しないと最後までは読めません】
まあ、明治33年に編まれた本だから、読み難しいことこの上無いが、今の時代は、家に居ながらタダで読めるのだから、何と有難いことか・・・!
この鐵舟居士を支えた女傑の人生を識る上では、非常に貴重な資料と為ること間違い無しと、早速格闘して居るのだが、近現代の女性には、この内容は、とても理解して貰えない世界だろうな・・・(笑)
因みに・・・、この書の『校閲』を担当して居る
『高橋泥舟・・・』
とは、この英子夫人の直兄にして、槍術に師匠宅に養子に入って居た人で、勝海舟、山岡鐵舟と並び、
『幕末三舟・・・』
と呼ばれた仁で有り、徳川慶喜公を最側近で守った槍術の達人だった人で、鐵舟の『入り婿恩人』でも有る・・・!
この『女士道』に似た本では、山本周五郎氏が著した
『日本婦道記・・・』
と云う名著も有ったが、あれも、今だったら大顰蹙を買うのだろうなあ・・・?!
などと・・・、けふ(今日)もまた、くだらぬ『鐵舟回顧』の横道に付き合って頂いて居りましたら、ご愁傷様でした・・・(謝&拝)


