10月は就学に関する話が多くなります。
通常学級?支援級?
「支援級」という呼び方も将来的には変わると思っています。
Xで見つけたこのような比喩にも共感します。
今のインクルーシブは見せかけだ。
「障害者専用だった駐車場を、
これからは健常者でも誰でも使えるようにしました」
と言っているようなものだ。
今の環境下で就学先を選ぶのは、苦労が多いと感じます。
特別支援学級にいた立場からの
一意見として聞いてくださればと思います。
大前提として「その子」を見ずして
「通常級がいい、支援級がいい」などと
絶対に言えません。
就学相談は目の前の子どもを見て、
個別に判断するものです。その上での話です。
どんなに理想を言ったところで
少なからず自治体差も存在します…
(おかしいことですが)
おうちの方から
通常級に通えるように
療育で子どもの能力を伸ばしてほしい。
とストレートな希望を聞くことも多いのが現実です。
分断されて見えがちな支援級への
お気持ちはお察しします。
そんな親心に共感しつつも心配なのは
支援級を勧められながら
通常級に通った子どもの苦労です。
授業中に苦労している顔が浮かびます。
周りがさほど苦労なくこなせる課題が
自分だけうまくいかない。
その経験を積み重ねるのはとても酷です。

通常級→支援級への転籍はよくあります。
中学年でいよいよ勉強が
分からなくなって転籍してきた場合
自尊感情がとても低いことは珍しくありません。
過剰適応の域まで頑張った結果、疲れ切っています。
「どうせ俺なんか」
「俺は馬鹿だから」
そんな言葉の1つや2つ吐き捨てなきゃ、
やっていられません。
大人がどんなに支援級の理想を伝えようとも
10歳頃の子どもにとっては
「大好きな友達の支援級の見方」が全て
だったりします。
学校生活の要素として
大人は学習を優先的に見るかもしれませんが、
子どもは「友達」が大切なことが多いです。
私には気になる言葉があります。
通常級にいた方が、いろんな子どもの中で
揉まれて強くなる
という言い回しです。
嫌な体験を乗り越えて耐性をつける
という意味に聞こえます。
そんな経験、低学年から必要ではありません。
さらに言えば、誤った思想にも聞こえます。
人に優しくできる子は
たくさん優しくされた子です。
揉まれて強く?
具体的にどんなよさが?…![]()
この論は、
揉まれて本当に強くなる負けん気の強い
タイプの子どもならよいですが
変化に弱いなどの
発達特性のある子には向かないことが
ほとんどではないでしょうか?
多様な子どもが混ざることで
学びを得るのはむしろ健常児の方
と考えています。
私も知的障害者や身体障害者との
ボランティア活動を通して、
豊かで貴重な学びを得たからです。
ボランティアは、健常者が視野を広め、
社会や人間について考える機会を与えてもらうもの
でした。
発達に気がかりのある子どもが
優しくしてもらえたり、揉まれて強くなる?
それは幻想かもしれません。
それよりも、自分はできる!これが好き!
という生き生きした気持ちが極端に
下がってしまうマイナスのほうが心配です。
子どもの発達を促す重要な考え方に、
ヴィゴツキーの「発達の再近接領域」があります。
「ちょっと頑張ったらできること」
の積み重ねで、子どもはできることが増え、
自信がつきます。
大人だってそうですよね。
そのためには、健常児と障害児の教育を
混ぜるのではなく
垣根をもっともっと低くすること
が大切ではないでしょうか?
リタリコの監修でも有名な本田秀夫医師が
私と同じ考えでした!!
(↑書き方😅)
↓本田先生の記事は、分かりやすくてオススメですよ![]()
うまくいっている支援級は
環境調整された素晴らしい場所なんですよ!!
私がそう言ったところで、学校差が大きいですし
世の中は矛盾や厳しさを含むものです。
そもそも通常級の35人だって多過ぎます。
まだまだ話し足りないテーマですね。
読みにくい文章をお読みくださり、
ありがとうございました。





