ヴィヨンとかマラルメとか、フランス語を選択した学生でも手が付けにくい作家を専門とした仏文学者・鈴木信太郎の記念館は、目下「文学と美術の共鳴-フランス文学者・鈴木信太郎と芸術をめぐる物語-」が開催中。
いつもに増して興味深い資料が並ぶ中、ひときわウケたのがこの新聞でした。
「われら別人なり」という見出し。
そうなんです、洋画家の鈴木信太郎と仏文学者の鈴木信太郎の対談なのです。
この2人の鈴木信太郎、なんだか紛らわしいなぁとかねてから思っていたのですが、なんと、2人とも1895年生まれということで生まれた年まで一緒、さらに居住地まで近かったんですね。
それだけに、あちこちで間違えられて大変なことになっていたことが、この対談から浮き彫りになります。
例えばー
「税務署までもが間違てお互いの収入は筒抜け」の文字!?
いやいや、それはいくらなんでもまずいでしょう。
なんだかのんびりした時代でしたね。
ほかにも、原稿料が間違って片方の信太郎氏に送られてしまい、心当たりがないからと出版社にそれを届けたところ、再び間違った信太郎氏の所に送られてしまったと。
そうやって転送を重ねている間に2か月間の為替が無効になった、と書かれています。
おそらく郵便料前払いみたいなシステムで2か月間なら転送が有効だったんでしょうね。
結局自腹で1円郵送料を填補して正しい新太郎氏に送ったそうです。
そのほかに、奈良県知事で11歳年上の鈴木信太郎という人までがこうした取違い事件に参画。
画家の信太郎が二科展で特賞を受賞したら、奈良県知事二科展特賞、と地方紙に出たのだとか!!
奈良県知事の妻が絵描きだったことも災いしたみたいです。
なんとも乱闘のように入り乱れたエピソードです。
ということで、下の眼鏡の絵は、(洋画家の)鈴木信太郎が描いた(仏文学者の)鈴木信太郎の肖像画です~。
ちなみに洋画家の鈴木信太郎の名前は8年前のブログで触れました。
クリニックで不調の原因がわからず検査に行くよういわれて初訪問した北里研究所病院でのこと。
さて北里研究所といえば、ノーベル生理学・医学賞受賞者・大村智先生が経営再建をしたところとして知られます。
その大村先生、個人で韮崎大村美術館を創設されるなど、絵画作品コレクターとしても名を馳せています。
1階には、鈴木信太郎さんという画家さんの絵などがあります。
鈴木氏の絵画作品が複数置かれていただけでなく、待合室の本箱の中身が美術系ばかりだったので、大村先生の蔵書がそのまま持ち込まれのでは、と思ったほど。
ちなみに待合室にあった本は以下のとおり:
「木村コレクションにみる女子美卒業生展」、「 佐伯祐三とフランス」、「 ボナールの庭・マティスの室内」、「 ルーブル美術館見学」、「板谷波山」、「 ポーラ美術館 名作選 日本画」、 「ポーラ美術館の印象派」、「ドガ、ダリ、シャガールのバレエ」、「シャガール 私の物語」、「アンリ・ルソー パリの空の下で」、「黒田清輝」、「岸田劉生の時代」、「佐野ぬい展」、
「 嶋田しづ」
ゆったり美術の世界に浸りたかったですが、じっくり読む気持ちの余裕なく。
当時不調の原因が溶連菌とは特定されておらず、あれこれ検査をせねばならずドキドキだったのです。
とりあえず庭のアジサイを撮る余裕はあったようですが。





