幼稚園児の時以来、印象派などの絵画展には親しんだけれど、お金を払って写真展を見に行く、という習慣は多分社会人になるまでなかったような気がします。
過去ログを見る限り、契機になったのは2009年。
学生時代の先輩から、こんなメールを受領しました:
東京都写真美術館、セバスチャン・サルガド 行ってきました。すごかったです。この光景を目の前に写真をとったサルカド。新聞でも誰かが「言葉がでなかった」というような批評されていましたが、確かにです。
そうなのか、、と興味を抱き、行ってきましたサルガド展。
2009年12月のことです。
行ってよかった、圧倒されました。
この年、実はサルガド展を見る前に写真美術館を訪れていました。
1月2日、お正月企画として写真展が無料開放され、「ランドスケープ 柴田敏雄展」のアーティストトークにも参加したのです。
とにかく写真美術館が身近な存在になったのが、この2009年という年だったことは間違いありません。
下の写真は09年、柴田敏雄展でトークを聞いたあと、直後に開始になった雅楽の様子。
最後まで聴き入りました。
昔の写真を見ると、現在の姿との違いもわかります。
そういえばあの頃はショップ前にもカフェスペースがあったんだったっけなぁ。
その後、1月2日か3日には近美に加えて写美にも出かけるのが常になり、こちらの写真は2012年の様子。
この年はガーデンプレイスの恒例シャンデリア前に、龍の像がありました。
2012年は辰年でした。
2014年はガーデンプレイスが20周年。
ベンチはカラフルにペイントされ、
バカラのシャンデリア下方には、招き猫!
過去のブログを見ると、年ごとのちょっとした違いがわかって面白いものです。
さて今年。
30周年記念の国内新進作家の展示と、実績ある写真家の過去と現在、そして未来を展望する展覧会などが開催中。
木村伊兵衛、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノーなどのノスタルジーや、ジャック=アンリ・ラルティーグ、アルフレッド・スティーグリッツといった草創期のチャレンジ精神などはわかりやすくて好きなんだけど、現代作家の作品は思想的なものが強く反映していて、同化するのに時間がかかります。
寺田健人さんの作品は、「想像上の妻と娘にケーキを買って帰る」のシリーズなどは、ちょっとせつなかったです。
私は、父親になりたかったのかもしれません。 でも同時に、女の子として生きてみたかったこともあります。 そのどちらも叶わず、どちらにもなりきれず、 ただ静かに“透明な誰か”を育てているような感覚で、この作品を続けています
架空/透明の家族を前に、一緒にケーキを食べる自分、、という図。
架空の娘のおもちゃ:
「作家の現在 これまでとこれから」のトークは結構ボリュームがあり、ここには書ききれませんが、各々の作家が自分に何を課して制作を続けているのか、他と一線を画すテクニックがどこにあるのかなど聞かないと気づかないことが多々ありました。
石内都さんの広島の被爆者の遺品シリーズ。
そのほか、広島原爆ドームで毎年同じ時刻にスナップショット的に撮影する藤岡亜弥さんの連作もありました。
志賀理江子さんの写真展は、現在アーティゾン美術館で開催されている個展とも呼応します。
前者は写真、後者はインスタレーションと、媒体は異なりますが。
今年の雅楽演奏。↓
初めてソロの実演も聞きました。
美術館でお正月を過ごす、というパターンをもう15年以上続けていたんだ、と改めて気づきました。












