旧公衆衛生院・現港区郷土歴史館で、週末 夏の行灯ナイトと称して弦楽カルテットJPCOのコンサートがありました。

 

旧公衆衛生院は以前記したとおり、東大安田講堂設計者で東京帝国大学の総長も歴任された内田祥三氏の設計により建てられました。(都内で見られる荘厳なゴシック建築)

 

既述の通り、現在では建物を残すべく港区が郷土歴史館として管理。

 

館内の説明書きには公衆衛生院建築の経緯が書かれており、関東大震災の折りにロックフェラー財団から受け取った見舞金があてがわれたとのことです。

 

 

世界の片隅で起こった出来事がリアルタイムに世界中に知れ渡る時代ではないものの、この深刻な災害は伝達速度はどうであれ世界中の知るところになったようです。

 

当時、各国から様々な救いの手が差し伸べられたのですね。

このロックフェラー財団しかり。

 

さらに、ナウマンゾウで知られるハインリッヒ・エドムント・ナウマンしかり。

 

これはナウマン関連の書を読んだ父から以前聞いた話ですが、このナウマン、当初はお抱え外国人として重宝がられたものの、次第にそれを踏み台に我が名を高めたいと望む日本人によって理不尽な横やりを入れられ、どんどん隅に追いやられていったといいます。

帰国時、ナウマンは失意のどん底だったとも。

 

特に確信犯は、同じく地質学者だった原田豊吉。

画家・原田直次郎の兄です。

その話を聞いてからというもの、国立近代美術館で原田直次郎の騎龍観音の絵を見るたびに、苦々しく思う私です。

弟に罪はないのですけどね。

ちなみにこの絵はいつか国宝指定を受けるかもしれない、と観測する研究者もいます。

 

でも、そんなふうに日本人から手ひどい仕打ちを受けたにもかかわらず、関東大震災の後、ナウマンは自分の蔵書を日本に寄付したのだそうです。

図書類も甚大な被害を受けましたから。

自分を苦しめた日本人の力になりたいと願ったナウマンは立派だった、とは父の口癖です。

 

 

話が大いに脱線しましたが、関東大震災で傷ついた日本を救ってくれたロックフェラーはこうして旧公衆衛生院の中でその功績を大々的に告知されていますが、恨みを封印して蔵書寄付というかたちで日本に思いを寄せてくれたナウマンのことも忘れまい、と思います。

 

 


 

 

東大の建物を数々手掛けた内田氏らしく、この建物もまるで大学のよう。本郷キャンパスの一角にもなじみそうです。

実際公衆衛生院は研究機関でもあったそうなので、コンセプトは同じだったのでしょう。

 

 

 

手前の池に浮かぶ行灯は、ここで開催された行灯づくり教室の際に参加者たちが作ったもの。

 

 

 

JPCOカルテットの曲目は、耳になじんだものばかり。

弦楽四重奏だけでなく、アラジン、ボヘミアンラプソディ、ハード・デイズ・ナイトなど。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

マスク着用必須でしたが密になることもなく、しばし夏の宵を堪能。

 

夫はコンサートホールでオーケストラの演奏を聴きたくなった、、と一言。

私は、コロナ禍で無理なくできるこういう催しで、今は大満足です。