aroma1103さんのブログ -24ページ目

真田丸 第31回終焉の感想

とうとう秀吉が逝ってしまいました。小日向さんが、あまりにも演技が上手すぎて涙が出ました。三成の豊臣を思う気持ち…。これにもウルウルしました。関ヶ原に繋がるんですね。これから、どんどん家康が出て来て、しかも抑えでいてくれた前田利家が亡くなり…。先を知ってるだけに胸が痛みます。
そして、心配だった出浦様…。徳川の屋敷で信幸に会わなければ(タイミング悪い!)逃げ切れて居たのに…よりによって舅の本多忠勝に切られ…。もう涙腺決壊(>_<)出浦様~(泣)寺島さん、渋くて素敵でした。何か…最近の信幸兄さんは嫌です。いくら稲姫を嫁に貰ったからと言っても、そこまで徳川に傾くのでしょうか?好きで貰った嫁じゃないでしょ。おこうさんが居たのに無理矢理だったのに…。解ってます。ドラマだし脚色は有ります。多分、関ヶ原で分かれるフラグみたいなものだと思いますが…。けど…今日のと言うか最近の信幸兄さんは嫌!(信幸兄さんファンの方ごめんなさい)
来週からの真田丸も目が離せないですね。
動揺して文章が変で済みませぬ~m(_ _)m

戊辰戦争で散ったご先祖様

私の先祖は初め、岩手県平泉の藤原氏に仕えていました。藤原氏が滅亡すると岩手県一関市辺りと宮城県北を治めていました。戦国時代になり秀吉の奥州仕置きに遭い落城…。何とか2人の遺児は家臣により近隣のお寺に預けられ、以前ブログに書きましたが狩の帰りに寄り、お茶を所望した伊達政宗公に御家再興して頂きました。家紋も政宗公が使用されていた三引両紋を頂きました。そして幕末まで仕え、戊辰戦争で会津藩との連合軍として戦い、新政府軍の流弾に倒れ戦死しました。戊辰戦争の正義は何処に有ったのでしょうか?色々調べましたが、どう考えても薩摩、長州藩が若い明治天皇を立て自分たちの好きな様に政府を作りたかっただけでは無いか?と思います。詳しく書けば会津藩への逆恨みです。それに同情した東北諸藩が(新潟長岡藩含む)「奥羽越列藩同盟」が結ばれました。もし新政府軍に勝てていれば、首都は仙台だったかも知れませんね。
続きは、また書きます。

平家の落人が開山した定義山




先日お礼参り&リハビリがてら、仙台の浅草!?みたいな「定義山西方寺(じょうぎさんさいほうじ)」に行って来ました。家から車で1時間ちょっとの所で観光地にもなっています。土日は観光バスいっぱいですバス
 手術成功の御礼とリハビリも兼ねて行きましたが、何か何度行っても良い所なんですよね。地元では「定義さん」と呼ばれてます。
その昔、平清盛の重臣かな?平貞能(さだよし)が清盛から如来像を預かり仙台のこの地に落ち着き、開山しました。(諸説ある様です)本堂と旧本堂の写メ撮るの忘れて来ちゃったけど五重塔と旧本堂の裏手に有る、長命水やサンドイッチマンも絶賛してる、名物の三角油揚げ(一口食べた写メだけど…)凄く美味しいのです!!中は豆腐みたいに柔らかく外はカリカリ!!七味と、お醤油かけて頂きます。その他にも、味噌焼きおにぎりや玉こんにゃくおでん、味噌焼き団子など名物が有ります!!また行きたいな~(^o^)/
旧本堂の裏手には長命水以外にも縁結びの木や、色々と見所が有ります。ちょっと急な足元が悪い階段を登るので病み上がりの私は今回止めましたが、次回は縁結びの木にも、お参りしたいです(*^^*)