「普通はさ、~~するものだよね」と

 

言われると

 

「“普通”ってなに?誰の話?

その“普通”は他のところへ行っても、

どの人も、みんな同じなの?

みんなって誰???」

 

と、“普通”が指すものがわからなくて、

適当に聞き流せなくて

考え込むような子どもでした。

 

また、「私って明るい性格」

「あの人ってイヤな性格」

「あなたは真面目だ」

などを聞いても

 

「見ていて静かなときもあるけどな」

「イヤ、は誰から見てのイヤになるのだろう。

どんなことを“イヤ”としているのかな」

「私のどんなところを真面目、というのかな。

考えすぎる、とか、適当にできないところとかを

“真面目”と言われているのかな。

それもそうだし、でもテキトにすることもあるのだけどな」

 

などもぐるぐる、ぐるぐる、考える子どもでした。

哲学していた、というのかもしれません指差し

 

大人になった今は

 

「人のことは、わからない。

自分のことも、わからない。

わかったようでいるけれど、

本当にわかっているのではないかもしれない」

 

と「わからないにある自由や真実がある」

と思っています。

 

わかったつもり、知っている!

の手綱を緩めると、

わからないにある未知や可能性って

無限なのだなと思います。

 

今日はそんなつぶやきでした看板持ち

 

これは「自分の思い込みを手放してみる」

ということにもつながるかもしれません。

 

「思い込み」という自分のメガネを外したり、

「本当のことはなに?」

新しいメガネではっきり見てみたり。

 

この世界はおもしろいですね♩

 

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