夕暮れ空に浮かぶ虹と雲

 

心や身体の状態も日々変わりますが、
長年、人が変わらずに心を悩ますテーマって
変わらないなぁと思いました。

自然災害が起こり、社会が変わり、
歴史で何が起こっても
目の前の自分の苦しみごとの根本は

・健康の恐怖(肉体の死)
・存在の恐怖(精神・存在の死)

この二つに集約されます。

二行にまとめていますが、
まとめて書いている私も平気な
わけではありません。笑

 

先日、美容師さんに、

出かけた先でお腹がすくと不機嫌になって夫にあたる。

という話をしたら
「そういうの聞いて安心した~」と言われました。


私のことがいつも穏やかで怒らない人に見えていたそうです。

いえ、不機嫌にもなります。笑

人のことってよく見えますよね。

話を戻して。

心がなんとなくずっとスッキリしないとき。
体がどんより重いとき。
そのモヤのかたまりを分解してみていくと
そこには必ず「究極のおそれ」がみえてきます。

確かにこころの仕組み的には
「究極のおそれ」が見つかり、
このエネルギーが解放されることで
スッキリ感を感じるのですが、生きるって、
そういうシステマチックに済むことでもないし、

合理的に済ませるのが良い。

ということでもないですよね。

やり方に自分の魂を乗せて
ベルトコンベアーみたいに癒しの作業をして
はい、ピカピカに仕上がりました!

という作業をしたいのではなくて。


私たちが本当に求めているのは

「何が苦しいのだろう?」
「ああ、これはいやだね、つらいよね」
「そう感じていたいのだね」
「こういうことをしたいのだね!」

という

目を向け
それが声を出すまで寄り添い
理解や共感の中で受け止められること


そういう関わりではないでしょうか。

だからその方法を知りたくもなります。


でも実際に自分が求めているのは

方法だけではないはずです。

 

そして他者からの承認、

持っていてうれしくなる物。

それだけでもないはずです。

 

なぜなら方法は使って、最終的に

「自分がどう感じるか」だし、

他者や物で満たされるのは

一時的な満足感だからです。

 

私たちが本当に求めているのは


自分が自分の痛みに目をむけ、
受け止め、共にいる。ということ。

深くで自分にコミットし、

このままの自分で何も問題ないのだ。

とわかること。


そのような正直で深い自分への視点と関わり。

 

ではないでしょうか。

 


そしてその関わりがなぜ必要かというと、
そこに愛があるから。

それはいのちへのつながりだから。

関心は愛がないと出てこない動きです。


自分の中で恐怖や疑い、不安が強くなるほど
周りからも距離を置いて。
ますます自分を恥じたり責めたりする思いに
囚われていったりします。

そこにいる「私」は孤独を感じる中で
そんな自分の無価値感に
ますます苦しむようになります。

そこで感じている

・分断された感じ(分離感)

・自分には価値がない

・なにをしてもやっぱりダメなんだ
(私は救われない/私は欠けている)

・なにをしてもなぜか最後はダメ
(私は与えられない)

この辺りの、心の深部にある思いは
無意識層でもかなり大きな思いであり、
エネルギーと言えるでしょう。

「私」という自我の感覚は
自分は神とは別のもの。
そして大いなるものから
どう判断されているか、という
恐れや緊張の意識が前提にあるからです。

もし、

・いつもとそんなに変わらないのに
苦しさがきつい

・気持ちのさざ波が強い

・強烈な孤独感を感じている

・自分は無価値だ、という思いが
どことなくある

という方は、今日書いたような
意識の根底にある自我の恐れが
刺激されていることもあるかもしれません。

ではどうすればいいのか?

こちら、本当に申し訳ないのですが
答えを書くなら

「受け入れる」

ことです。

この痛みがある、ということを、受け入れる。

どこまでも素直に正直に
感覚や感情に目を向け、ただ共にいてみます。

以前、私がこの言葉を聞いた時は
ものすごく腹が立ちました。

「そんな簡単に言うなよ!」と。

「それができてたらいいよね!!
できないから苦しいんじゃないか!」と。

でも、あるとき

何度もセルフワークをし、
何回もセッションを受け、勉強もし、
何年も経った。のに。

「ああ、また来た」

というおなじみのテーマと
苦しみがきたときがありました。

そのときにあまりに苦しすぎて

「もういいや、何がしたいのかわからないけど
(←エゴにむかって怒った)
とことん苦しみの思いでも感情でもくればいい。
あなた(エゴ)の望むままにしたらいい。
付き合うよ。私の思う楽な方法とは違うけど、
あなたも必死なんだもんね」

と思ったら、苦しみの大波が
さーっと向きを変えて横へ流れたのです。
(イメージです。笑)

苦しみにむかって降参した瞬間でもあり、
受け入れた瞬間でもありました。

ここで「受け入れるまでがほんっとうにつらいけど
受け入れたらこんなにも抜けるのか!」と
驚いた体験でもありました。

だからと言って
それからいつも受け入れるようになったか、
というとそうでもないのですが、笑
それ以来、苦しみのリアル度が変わりました。

ここで書いたことは
『苦しみは受け入れると流れる』ということなのですが
読んですぐできたら人類の苦しみはとっくの昔にないわけで。

これをいかに“自分ごととして体感するか”かなぁと思います。

これが本やブログ、動画でもラクにならない理由です。

自分で体験すること。
その体験の土台を丁寧に重ねていくこと。

地味なのですがここにつきます。
諦めたくなる時も
すべてを放り出したくなるときもあるかもしれません。

でも、いいよ。

それでもいいし
それでも大丈夫。

愛は決して離れるものではなくて
終わるものでもありません♪

ときに飲まれ
ときにまた愛を思い出し
たくさんあーでもない、こーでもないと
生きていきましょう♪


メルマガやブログでは
意識のいろいろな段階の苦しみの理由について
みていますが今回は特に

自我の深くでもっている

無価値感と分離感について書きました。

✢先日のメルマガで書いた記事を

一部書き直して載せています。

 

今日もそれぞれの場所で

それぞれが幸せでありますよう!

 

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