※悟りや目覚めを「理想化」して、かえって苦しむ、というスパイラルにはまっていたお話。前編です。



目覚めや悟りの本、ブログなどに触れていると、

読んでいるそのあいだは何となくエゴが落ち着き、

安らぎを得ます。



でも例えば日常生活での会話、

パワフルなヒーリングのワークショップ、

やる気を奮い立たせるような講座

などで、あっという間に静けさは消えて
マインド全開モードになります。


beの”在る”からdoの”する”

のテンションになるというか。



その揺れ動きが苦しかったのですが、

それは、ふと気づけば、そこでもまた世界(モード)

を区別している私がいるからでした。



「本当の安らぎ(目覚め)系」と「現実世界系」。



今は安らぎで、

日常生活は「切り替えて」集中する。


気づかない内にそんな切り替えていました。


何か作業をしていて”do”が深くなっては、

はたと気づき、それをしている視線に戻るを繰り返し。

(セッション中は”be”モードでいるので、

特にこの行き来に集中しています。)




また、どこにいても何かを求めているし、

「求めなくても、あなたはすでにソレです。」という知識や、
求める私を咎めるようにみる”悟りエゴ”の私もいる。



目覚め系のモードにあるときは

「真実なる私仮面」が実はかなり

エゴモードで「わかった気」になり、
「求めることを抑圧」していたりして。



どこまでも「苦しみ」はダメなこと、

は染み付いていました。
そして。やっぱり、自分の中に

「目覚めている人はすごい人。」

というレッテルもありました。

(アタマですぐに否定するけど、心にしっかり

インプットされていた。。。)



うーん。


言葉は変われど


行動は


何も変わっていない。。。



むしろ、知識が「わかったエゴ」

を作っていてヘンに抑圧が深く巧妙に。。。


思わず、ははは(^_^;) な感じでした。



これを勘違いしたままだと、

「ここが唯一無二の、真実の場」になる。
それを作ることは、

イコール「それ以外は、ウソ。」となる。
これは良くて、あれは違う。
を繰り返し。
(そもそも、”目指すどこか、

何か”ということではないのに。)



何か”すごい人、すごいコト”、

”すごい”変容の「至高感」を求めては
ここではないどこか、

まだ十分ではない私を探して。



一方「スゴイ」という言葉に反応し、

「まだ、求めてるワケ?!私!」と落ち込んだり。



ぐるぐる ぐるぐる 

変わらないパターンを繰り返していました。

あーあ!
まったく、あーあ!です(^-^)



「学ばない・繰り返す・なんでわからないの。」と

責めている時は

自分にダメだしをしまくるので

けっこうきつかったです。



つづく。



love&joy

AROHAM虹

kee