体調が異常に悪いですが、今日改めて分かったことは、この世界には馬鹿しかいないということです。

何を何百年言っても聞いていないので、言うだけ無駄でした。

人は愚かで幼稚です。

他人から嫌がらせを受けなければ、私は健康でした。

人は異常に頭が悪いので、関わってはいけません。

人は何をしても嫌がらせを止めないので、ゾンビよりも不気味ですが、嘘ばかりついて失敗する道を全力で暴走します。

誰にも止められないです。

親と社会の問題です。

かなり体調が悪化したので厳しいですが、終わりがありません。

驚くくらいに物事に終わりはありません。

痛みや苦しみに限界があるのかと思ってみても底なし沼のように終わりが見えません。

全てが常に更新し続けています。

私がしないといけないことは、全てを理解して見切って、悪しき者と決別しないといけないということです。

馬鹿に何を与えても悪いことしかしません。

中途半端な優しさが一番良くないと気づきました。

私は優し過ぎたので、嫌な目に遭って、全ての馬鹿な人達から私が悪いかのように言われましたが、頭が悪いにも程があります。

メディアや他人の話を鵜呑みにしたり、拡散することが不思議でなりません。

拡散したことがありませんが、誤ったことを拡散することは、自分が馬鹿な人間だと拡散しているのと同じことです。

知識がないから見聞きしたことを鵜呑みにして、更に面倒だから調べたり確認をせずに誤った情報を広げます。

今まで周りから聞いた話で合っていたことは一度もありません。

映画も誰かが面白くないと言ったから観ていないと言いましたが、私は両方観ていて両方とも良かったと言いましたが、私以外の人は、「面白くないと聞いたから」、「観たけど面白くなかった」と否定的な意見ばかりでした。

今だから言いますが、その映画は、『フォレスト・ガンプ』と『アルマゲドン』でした。

そうだろうな、と思いますが、評価が分かれるところですが、私は映像や音楽や出演者が魅力的だったので、好みは別として、観て良かったと思います。

『フォレスト・ガンプ』は、時代があちこち進むので、分かりにくい人には分かりにくいかもしれませんが、その時代の映画として魅力的な映画でした。

一人の男性の人生の話ですね。

私は、不遇な環境にあっても幼馴染の女の子が優しくて魅力的で好きでした。

家庭環境や障害や虐めや戦争や根底にあるものは決して明るくはないけれど、希望や優しさや純粋さのある物語だと思いました。

恋人に会いに行くためにバスを待っているフォレスト・ガンプがバス停に来た人に自分のそれまでの人生を語るというお話でした。

一見信じ難いような内容をバスが来るまでの間、様々な人に話すというお話です。

この手法が好みが分かれるところで、物語の分かりにくさでもあります。

何が起きてどうなったという物語ではありません。

その人と関わった人達の人生のお話です。

『アルマゲドン』は、『フォレスト・ガンプ』とは真逆で、起承転結がはっきりしていて、コンパクトな印象があります。

理解しやすいストーリーで、映像や音楽が綺麗です。

主題歌はエアロスミスの『I Don't Wont to Miss a Thing』ですね。

完全なハッピーエンドではないところやストーリーがあまり評価されなかったのかと思いますが、私はシンプルで好きな映画です。

ハッピーエンドならもっと良かったと思います。

そんな映画についても常に他者評価やネガティブな意見ばかりでした。

私は当時、両方観て良かったと思ったので、今よりもその瞬間の良さがあるので、時代背景や年齢や社会や映画の予告も含めて当時の色が良く出ていたと思います。

他人にしても「みんなが変わってるって言うからから離れよう。」と言う人もいましたが、そういう人は嫌いです。

「昨日まで普通にいたでしょ?」と思いますが、全てが他者評価に委ねる人は理解出来ません。

私はあまり気にならないので、他人が悪口を言っていても、自分で見て悪い人じゃなければ、子供の頃から「そんなことないよ、いい子だよー。」と言っていましたが、他にそんな人はいないので、「変わった人に見られているだろうな😂」と思っていましたが、敢えてそうしてその人のことをアピールしていましたが、特に否定されたり嫌なことを直接言われたことはありませんでした。

陰で言われていますかね?

大体、人は裏で悪口を言うので気にしませんが、裏で言っていると表面でも分かります。

人は必ず、本人に言いたがるので、絶対に言ってくるので、誰が何を言っているのか分かりますが、言わなくても人は悪いことしかしませんね😂

私は人を褒めたけど、人は私や他人を褒めません。

褒めて貶(けな)されるって解(げ)せないですが、日本人は他人を褒める文化がないな😂と思っていました。

私も日本人ですが、家族にも驚かれる程、普通に子供を褒めました。

貶さないと損かのように人は他人を貶しますが、そういうの嫌いです。

私は家族のことも常識の範囲内で庇いましたが、家族は庇わないし、貶します。

「どういうことやねん。」と納得いきませんが、自分のことは貶さず、私を貶します。

頭のダメージが限界を更新しているので、書くことが厳しいですが、現実の卑劣さや過酷さも更に更新していきます。

元の頭なら元気にスキップしています🎵

なので、人からは「おかしい!」、「強過ぎる。」と言われましたが、こっちは真剣なので、嫌がらせにも屈せず、普通に言い続けましたが、おかしな人からは、「おかしい!」と言われました。

こちらからすると「お前らがな!」となりますが、理性が強過ぎたので、相手に不利になることは、まだ極限でも言わずに耐えていますが、酷い嫌がらせが続くと、時々、負けて言いそうになります。

嫌な人に塗る薬はないので、今まで極限を超えても超えても超えても耐えてきましたが、庇う必要もなかったのかとも思いますが、性格上、言わないので、全ての嫌な人達に私が悪者にされています。

おかしな話です。

私のストレスは増すばかりですが、人と関わったことが災難の始まりでした。

相手は馬鹿なので、私のことを下に見て馬鹿にして失敗しても学習せずに嫌がらせを繰り返します。

私が本来することは、一旦綺麗に躊躇なく、全てを壊すことです。

中途半端だからずるずる苦しみが続きます。

体調が良くないので、判断力や壊す体力や壊したあとの対応が難しいので、少しずつしか壊せないので、傷口がズタボロになってしまいます。

他者評価で生きることの愚かさを知っているので、他者評価を参考にしつつもそこに引きづられずに、依存せずに、自分で考えて、正しい判断が出来るようになりたいですね。

私は、「みんな仲良くしようよ!」というようなタイプだったので、「あの人が嫌だ、この人が嫌だ。」ということはありませんでしたが、何があったのか、聞いてみたら良かったかもと思いましたが、未だに理由は分からないし、誰が正しくて、誰が悪いとも言えないと思いました。

正しそうな人が良くないことも見ていて分かりました。

私は対立しなかったので、横で見ていてへらへらしているだけでした。

そして、困っている人や泣いている人がいたら声をかけて助けていました。

誰かが笑われていても私は笑わないし、「どうして笑うの?私も同じことしているよ。」と言いましたが、「人前ではしないよ。」と言ってみんな教師や周りに同調して笑っていて不快でした。

同調が苦手ですが、みんな良くも悪くも悪くも悪くも同調しますね。

小学生の頃、学校で教師に「自分は誰のもの?」と聞かれて、私はすぐに、「自分のもの」と思いましたが、聞かれた人はみんな、「親のもの」と自分以外のものを言っていました。

質問の仕方が良くないので仕方がないですが、「誰のもの?」という表現がそもそもおかしいので、自分以外のものを答えがちですね。

自分で考える力を育まないと何が正しいのか、何が間違いなのかすら、見失います。

「私は間違っているかもしれない。」という問いかけが常に必要です。

本当に言わないといけないことはいつも書けないのです。