最初の結婚をしたとき、
相手は7年間交際した大好きな彼で、
わたしは25歳でした。
新婚当初のわたしは
初めての他人との生活にとまどっていました。
あれー?結婚生活って、こういうことなんだ?
洗面所の排水口に汚れがたまってるの
いつもわたしが掃除するんだ。
向こうは住むところが変わっただけで
一日の生活はほとんど変わらないのに
こっちは朝から晩まで激変するんだ。
しばしば相手の実家に出掛けて
めっちゃ気を使いながらにこやかに過ごして
帰りの車で毎回機嫌悪くなってケンカするんだ。
わたしが思い描いてきた
「甘い結婚生活」とは随分違うな~
結婚後、半年で妊娠しました。
それと同時に、わたしを好きだと言う人が現れました。
積極的にアプローチしてくれて
とてもうれしく、わたしも好きになりました。
出張の多い夫だったので、
彼と交際することはとても簡単でした。
一度、夫に彼のことがバレました。
「会って話す」と言われ3人で面談しました。
その時点でわたしは2人とも同じくらい好きでした。
修羅場と呼ばれるような場面でありながら
(誰も声は荒げてなかったけど)
「好きな人が両方揃ってこの場にいるなんて夢みたい」
と思っていました。
結局、わたしが妊娠中だったこと、
彼が求職中だったことなどを夫に諭されて
もう会わない約束をさせられました。
でも、別れられず、再び会うようになりました。
それまでわたしの中で
「夫も彼も2人とも本当に好き」
と思っていましたが、
三者面談以降は
「わたしは夫を裏切ってる。
なぜなら、夫がわたしと彼を
無理やり別れさせたから」
という精神状態になっていました。
その後、こどもが生まれました。
「あら?こどもってこんなにかわいいの!?」
と驚くほど我が子はかわいく、
また同じくらい赤ちゃんと2人きりの生活はしんどく、
1歳くらいで保育園に預けパートを始め
何でも一人でやっていました。
わたしの息抜きは男性と会うことでした。
彼だけでなく、たくさんの男性と会うようになっていきました。
段々と自分の中で抱え切れなくなったわたしに
「困っているから助けて」
という発想がそれまでの人生になく、
「わたし、たくさんの男の人と会ってるよ」
「50代の人もいるよ」
「あの彼とも続いてるよ」
と相手を傷付け、
婚姻関係を終わらせようとしているとしか思えない発言で
夫に打ち明けました。
わたしと夫とこどもという家族に愛着がありましたが
それ以上に、誰が、自分にとって一番大切なのか
まったく分からなくなっていました。
こどもを、自分の発言で手放すことになるとは、
これっぽっちも想像していませんでした。
毎日毎日
お便り帳を書き
保育園に送り
先生のお返事を読んで喜び
「がんばれがんばれおかあさん」と
応援してもらいながら自転車を押して坂道を上がり、
ご飯を食べさせ、
お風呂に入れ、
話しかけ、
抱っこして、
一緒に寝る
そんなこどもとわたしが離れるなんて
まったく思いつかなかったです。
たくさんの男性と会いながら
こどもを愛して、日々の生活を送ることは
当時のわたしにとって
唯一のバランスを取る方法でした。
愛情を注ぎたくて注ぎたくて、
愛情を受け取りたくて受け取りたくて、
結婚相手とこそ、それをすべきなのに、
そのやり方が分からなかったのです。
20代のわたしには。
夫に打ち明けた結果、
「そうか、奈緒は一人で全部頑張って
いっぱいいっぱいだったんだね。
気付かなくてごめんね。
これからはもっと家にいられるように
会社に頼んでみるよ。
家事も育児も手伝うから二人で頑張ろう。
この子のために、もう一度やり直そう。
奈緒のことをもっと大切にするし、
もっと愛を注ぐから、
僕だけに愛を注いでくれるかな」
とはなるはずもなく、
こどもと夫は去っていきました。
元夫は、わたしに必要なものはすべて残してくれました。
ただこどもに関するものは一つ残らず持ち去りました。
わたしはそうされて当然の罪を犯したんだ
それ以降、わたしが自分で背負った十字架は
重くて重くて何度も押しつぶされそうになりました。
「自責の念」とは
「これ以上他人から傷付けられたくないときに
自分を守るため」自分で自分を罰する気持ちだそうです。
自覚はありませんでしたが、
まったくその通りの状態でした。
あの時、わたしから自責の念をとっぱらったら
よくもわたしとこどもの絆を引き裂いたな!
という怒りが湧いたことでしょう。
当然、あちらからは
よくも家族の絆を引き裂いたな!
という怒りが湧いたことでしょう。
お互い、そういう怒りをぶつけ合うことなく
一見きれいに別れました。
「出来ることがあれば手伝うよ」とまで言われました。
その後、実家に戻って鬱々と過ごしました。
今の夫とはすでに付き合っていましたが
こんなわたしと付き合っていても彼は不幸になるだけ
と日々思っていました。
2年、3年と付き合う間にわたしにとって
彼の存在が必要不可欠になりました。
もう二度と結婚しない
自分は結婚に向いていない
という気持ちは変化して
「彼と結婚したい。出来るのだろうか」
という気持ちになっていました。
それを誰に聞けば分かるのか。
知りたい!知りたい!
未来が知りたい!
「わたしなんて認められなくて当然」と
当時は自分で思っていますから
(でも本心は認められたいのですから)
他人には聞けない、自分で知りたい、
そこでわたしは自分の手相に聞きたくなったのです。
家の裏にあった本屋さんで
手相の本を立ち読みしました。
何冊もあった中から
西谷泰人著「的中手相術」を買って帰りました。
<世界で一番売れている手相の本>
みたいなコピーが決め手でした。
読んでも「彼と結婚出来るか」は分からず
直接鑑定してもらいたい!!
と強く思ったわたしは2005年1月に
横浜で西谷先生の鑑定を受けることが出来ました。
当然、鑑定の場でも自分の事情は詳しく話しません。
ただただ、「今付き合ってる人と結婚できますか?」
とだけ聞きました。
先生はじっくりわたしの手を眺めた後
「彼は既婚者ですか?」と聞かれたんです。
びっくりしました。大変焦りました。
「あなたは既婚者ですか?」と聞かれたように感じました。
表面上は冷静さを取り繕いながら
「いいえ、彼は独身です」と答えました。
すると先生は
「すんなりとは行かないでしょうが、
間違いなく彼は運命の人です。」とおっしゃいました。
それこそ、わたしが聞きたかったことでした。
その時まで
「わたしがしてきたことは決して誰にも言えない。
死ぬまで隠して恥じて生きて行こう」
と思っていました。
「自分でこんなに自分を罰しているのだから
どうかこれ以上誰もそのことで責めないで」
と思っていました。
でも、この鑑定がきっかけで
こんな自分でも大好きな人と再婚するという未来があるのか
絶対二度と幸せになれないわけじゃないのか
と自分に対する見方がガラリと変わりました。
その半年後、鑑定通りの時期に再婚することが出来、
さらにそれから7年後、
西谷先生の手相スクールへ通うことになりました。
これがわたしが手相に興味を持ち、
西谷先生を知り、
ファンになって、
手相スクールに入ってお話しを直接聞きたいと思い
教えていただいたからには鑑定士になろうと
決心するに至ったきっかけです。
手相スクール修了式2012年9月
「naoの幸せ手相」
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