現在は山形県でゆる~く看護師をしています。
たま~に誰かの心が軽くなればと、幼少期の性被害の経験やそれでも今は幸せに生きてるぜっ✨とお話をさせていただくこともあります。
今日と明日は
夏まつりで売り子をする阿部ゆう子です。
BBAですけど何か❓️
✨
ずっと私のブログにお付き合いいただいている方はご存知かもしれない事実。
私は数年前から母のことを憎んではいない。
好きと言えば嘘になるが、この世に産んでくれたことには素直に感謝している。
この前提がないと、前回の投稿をいきなり読んだら恐ろしいよなぁ💦
と、勝手に思いました、はい。
母にも感謝しているが、助産師として働こうとする私のことを、いびり倒してくれた2つの元勤め先の方々にも大変感謝している。
んなこたぁねぇだろう❗️
と、思われるかもしれない。
でも、本当に感謝している。
でなければ、間違いなく今の私はいない。
今の時点で感謝している点が2つ。
1つは今回の連続投稿の最後に書く。
もう1つが、追い出されたことで、今の職場にたどり着いたこと。
人の死というか、
死体に対するトラウマが消えたのだ。
かなりのペースで高齢者が亡くなる病院。
ほとんどの方がとても静かに虹の橋を渡られる。
その表情はとても穏やかだ。
誰も私の曾祖母のような鬼の形相をされてはいない。
静かな死を何度も何度も経験するうちに、私は死体が怖くなくなった。
私が人間の亡骸を初めて目にしたのは、小学1年生の時だったと記憶している。
その日、父と2人で父の実家に遊びに行っていた。
帰り際に祖母が、父に言った。
祖母の代わりに曾祖母(祖母の母)の通夜に顔を出して欲しいという内容だった。
その時、祖母は言った。
「私は行けないから」
どうして行けないのかはわからない。
行けないではなく、行かないだったかもしれない。
その通夜以外でおそらく面識もない曾祖母は、享年99歳で当時としてはかなりのご長寿だ。
その日も元気に、薪を火にくべて風呂を沸かしていたそうだ。
油断したのだろうか、薪の火が曾祖母の着物に燃え移ってしまった。
曾祖母は全身の3分の2を大火傷して、丸1日抗ってから三途の川を渡ったそうだ。
物凄い苦しみだったのだろう、それくらい恐ろしい形相で棺桶の中に横たわっていた。
帰りに父は私に言った。
「連れて行かんにゃ良かったのう。怖かったじゃろう」
ええ、お陰様で50歳越えるまで死体が怖くて、看護師になってからもしばらく「私の夜勤中に誰も死にませんように」と祈ってましたよ。
今の職場のお陰で、母の死体を怖がらずに済んだ。
これまで父母両家の祖父母や叔父など何度か葬儀にも出席してきたが、恐くて怖くて棺の中に花の1つも入れられなかったのだ。
今回、文字にして改めて思う。
人は生きてきたように死んでいく。
曾祖母、何をしでかしたのだ❓️
あの世で逢ったら聞いてみようと思う。
