40歳を越えて看護学校に入学し、浪人生活を合わせて6年間かけて助産師になりました。このブログは助産学校在学中から暗黒の新人助産師時代を経て現在に至るまでの記録です。


現在は山形県でゆる~く看護師をしています。

たま~に誰かの心が軽くなればと、幼少期の性被害の経験やそれでも今は幸せに生きてるぜっ✨とお話をさせていただくこともあります。

今日も激暑の東北、

心拍数 無駄に爆あがりの阿部ゆう子です真顔



いきなりだが、母が死んだ。


去年の6月上旬の出来事。


あれからすでに1年以上の月日が流れた。


「なんで今さら❓️」

そう思う方のほうが多いだろう。


知らない方のために簡単に説明すると、

このブログでも何度か登場した私の母は、

母であると同時に二次加害者であり、

長い間 私にとってほぼ唯一の憎しみの感情を抱く相手だった女性だ。



あの日、いつもほとんど鳴ることのない、

私のスマホが日付が変わる直前に鳴った。


「あ~💢こんな時間に鳴るなんて、

                   絶対間違いかなんかだよ」


そう思ってやり過ごした。


15分後にまた鳴った私のスマホ。


さすがに誰からか確認した。


地元に住む妹からだった。


母がお風呂で亡くなったと。


溺死ではない。


心臓が先に止まって、

それから湯船に鼻まで浸かっていたらしい。


妹は泣いていた。


不思議な気がした。


「悲しいの、あんた❓️」

もちろん、いくら私でも口に出してはいない。


私は何も感じなかった。


嬉しくもないし、悲しくもない。


今から向かうと言う妹に、

「悪いけどすぐには行けない。明日また連絡する」

と言って電話を切り、すぐに朝まで爆睡した。


翌朝、娘の学校と私の職場に忌引きの連絡。


夫は家族3人で移動可能な飛行機の便を探してくれた。


妹に電話で葬儀の日程を確認。


離れて暮らす息子にLINEで連絡をすると、午後から休みを取って通夜から参列するとのこと。


遠い昔の記憶がよみがえった。


母は初孫である息子をとてもとても可愛がっていた。


そんな母に対して冷たい態度の私に、当時幼稚園児の息子が言った。


「お母さん、お婆ちゃんは優しいんだから意地悪しちゃ駄目だよ」


私は、何も言えなかった。



美しい夜明け、どこの上空だろう?