10月にJが再来日することになった。
相変わらず父は頑な。
「勤めてる会社の証明書を上司にかいてもらえ」
だの、
「貯金はいくらあるんだ?銀行残高証明書をもってこい」
だの、
アンタは移民局か!と突っ込みたくなるほど。
対してJは、
「ふたりが愛し合って結婚するのに、どうして親に了解とらなきゃいけないんだ?
じゃあ、反対されたらAPRICOTは結婚しないの?」
・・・・そーいうわけではなくてぇ。
日本では、恋人が、両親に挨拶に来て、
「お嬢さんを僕にください!」と頼む慣習があるにはあるのだ、形式なのだ、
と説明しても納得いかない様子。
さてふたりをなだめつつ10月がきた。
空港に迎えに来た私。今度は1時間も早めにきて、到着ロビーで待っていた。
しかし待てど暮らせど現れない・・・・。
次の便もその次の便の到着客も出て来ているのに・・・
あ!でてきた!
ものすごーく暗く、疲れきった顔で出てきたJが一言、
・・・・ロストバゲッジ
された・・・・・」
な、なんですとー!!
これからの運命を暗示するかのようなくらああああいスタート・・・・。
ともあれ、実家に直行。
実家には、両親、一番上の姉、その夫、その子供ふたりが待っていた。
(あれーーーーー!???また欠席か!ぷち!)
ロストバゲッジのおかげで、
「まあ、まあ、大変だったわねええ」
「着るものとかあるの?いつ戻ってくるの?」と最初からちょっと和やかな雰囲気に。
父は・・・・・
陽気だった・・・・・。
私を間に挟み、しきりに和やかな雰囲気を作ろうとする。
あの憤慨はどこへとびっくりするほどのサービスぶり。
対してJも終始ニコニコ。日本語がほとんどできないので、
私の通訳を聞いて、一呼吸遅れて笑ったりしている。
2時間ほど過ごし、疲れてるだろうからと、おひらきになった。
私はJをホテルまで送り、夜に帰宅。(実家に泊まることは許されなかった)
待っていた父が言った言葉、
「何しにきたんだアイツは!!!!」
はるばる挨拶に来たかと思ったら、ほとんどしゃべらず、
ニコニコするだけで、社交性がまるでない。
結婚の許しをもらいにきたんじゃなかったのか!だめだなあの男は!
父は笑顔を振りまきながら、Jを厳しく観察し、結婚の許しを乞うコトバを
今か今かと待っていたのだ。
「だって、日本語しゃべれなくて、みんなの会話のスピードについていけないんだよ、
しょうがないじゃない。結婚の許しをもらう慣習はアメリカにはないの」
フォローしてみるが、聞く耳持たない様子。減点300点・・・・。
その後、滞在中、家族で温泉旅行に行き、そこでも親睦を深めようと
必死になる私。しかし、表面上は和やかでも、父はJを無視するかのように
話しかけない。ものすごくシャイなJは自分から、ましてほとんどできない
日本語では話しかけれない。両者の溝、深まるばかり。
今から思えばとても単純なハナシ。
父は、Jからひとこと「娘さんと結婚させてください。よろしくお願いします」の
一言が聞きたかっただけなのだ。そしてどれだけ、結婚を現実的に考えてるか、
アピールして欲しかったのだ。
Jは、シャイで完ぺき主義なので、日本語で話しかけることができない。
そして結婚はふたりだけの問題だと思ってるから、無理に許しを乞う必要もないと思っている。
でも私は二人に挟まれて、とてもつらかった。
家族に反対されることがこんなにもつらいとは想像もしていなかった。
旅行から帰ってきてからも、毎日朝仕事に行く前にJのホテルに行き、
仕事が終わって終電まで一緒にいて、うちに帰る。
そして父と毎夜言い争い。
肉体的にも、精神的にも疲れ果てていた。
そしてある日、Jとなんでだか雰囲気が悪くなり、
私は「もう一秒だってここに一緒にいたくない」と
ものすごく強く思い、
逃亡した。
追いかけてくるJをまき街をうろうろし、結局どこにもいけないまま、
ホテルに戻ってきた。もう自分でもどうしたいのか、どうしたらいいのか
わからなかった。泣きながらJの部屋の前の階段でぼうっと座っていた。
と、ドアを開けて、私を見つけるJ。
もうこれしかないんだ。これしか楽になる方法はないんだ!と
追い詰められた私はとんでもないことをした。
再来日した日にもらった、アイリッシュのCladdagh Ring、
婚約指環を指からはずし、Jに差し出したのだ。
・・・・・あーーーーー、今でもあのときのことを思い出すと胃がキリキリしてきますです。