毎日ゲシュタルト崩壊しすぎて

毎日、頭が痛い。

 

 

そしてほんのひととき

「これだ」と掴めたと思ったら

またさらに「奥」へといく情報が来るので

また、遠ざかる。

 


そして

現実という現場にいくと

あっという間に元の位置に戻る「私」がいる。

 

小さな私に戻る「私」が。

 

 

そしてそこに長居すると

 

慣れ親しんだ元のゲームを

つい、やりたくなる

 

 

わかりやすく

現実の場に現れる「もの」を創って

安堵感を感じたい。

 

そのための方法をまず先にやりたい。

そっちを満たしたい。

 

 

そう、囁く自我が存在している

(という認識が起きている)

 

 

 

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昨日、PULSE ARTの配信で

「人生の目的違い」の話があった。

 

 

目的が違えば

知りたいことも違うし

同じ話を聞いても

同じワークをやっても

「受け取るもの」が違う。

 

 

こうして文字化すると

至極真っ当なことなのだけれど

 

 

これは

「混ぜるな危険」なのだ。

(実体験済み)

 

 

 

現実もうまくいかせたいし

「わたしとは何か」を

人生そのものを使ってを知りたい

 

こう思うのも人であれば、当たり前に起こる。

 

 

しかしこれは
目的同士の相性が悪いというより、

 

ゲームの目的が違うものを
同時に起動している、ということになる。

 

 

それぞれのゲームの中では
ちゃんと目的があり、意味がある。

 

 

でも今、私がやりたい「創道」は、

「望む現実を当てにいく」

「認識を調整して現実化する」

ためのゲームじゃない。

 

 

なのに、

現実に呑まれて

起点から外れると

 

「これをやれば戻せるかも」

「あれをしたら動くかも」

って、
慣れた旧ゲームのコントローラーを
つい、握りたくなる。

 

 

で、そうすると起点がまた、

「現実をなんとかしたい人間の私」に戻る。

 

そうするとまた、プレイするゲームが変わる。

 

だけど、Happyちゃんの配信聴くと

「やっぱりこっちがいい」となる。

 

 

 

今、私がやっていることはただひとつ。

 

混ぜていたものを全部降ろして、
起点そのものに立つ。

 

 

 

 

それは

結果という現実を操作するための

慣れた道具を使わずに
まだ何が現れるか分からない場所に立ち続けること。

 

 

これ、エゴにとって

めっちゃくちゃ怖い。

 

だって何もわからないから。

何がどうなるか、未知の世界だから。

 

 

 

でも、私が本気やりたいのは、これなんだ。
 

 

「どうすれば望む現実になるか?」

ではなく

「世界を認識している、この『わたし』って一体何?」

の方。

 

 

だから、現実創造の攻略法を持ってきても、

今の目的地には「しっくり」くるはずがない。

 

 

これは

現実創造が悪いわけでもない。
レベルが低いからでもない。

自分ができないからでもない。

 

 

目的が違う。ただけそれだけのこと。

 

 

複数のルールで同時にゲームを操作することはできない。

 

 


「わたしを知りながら、人間をやる」

 

それは

はじまりに還るだけじゃない。
そこから人間をもう一度生きる。
 

 

 

欲しかったものが

そもそも「望む現実が叶うこと」ではなかった。

 

 

もっと根っこで、

「私は何なのか」
「この世界はどう立ち上がってるのか」
「その起点から、人間を生きるって何なのか」

を知りたかった。

 

 

 

そして

その起点に立ったところから

その人だけの「あらわれ」が起こるのだ。

 

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これ本当にね

頭の理解なんてとっくの昔に

遥か彼方に飛んでいってます。

 

 

頭の理解=自我、ね。

頭で理解しようとした瞬間、自我に入り込んで眠りにつくので

 

 

わからなくなったら原点に還る。

不安になったら原点に還る。

これ合ってんのかなと思ったら原点に還る。

 

 

地図と座標。

そこに居続ける。

 

そして今やれることを淡々とやる。

 

これを徹底する。

 

 

 

 

「創道」へ進む道の最中

 

自分のプロセスは必ず起こるから。

 

 

 

 

 

本日、初のリアルMOMEDに参加してきます。

 

 

 

 

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