放送担当だった NHKは 日夲人の心を踏みにじり
なんと その場面だけをカットした
国旗・日の丸掲揚と 「君が代」演奏を
すべてを放映してくれたのは テレ東だけだった
テレ東 が もはや国営放送です
どうして 公共放送が どんな意図をもってこんな酷いことができる ?
赤い国から指示されたのか
NHKは 尖閣を赤い国領土と放送した前科がある
国会でも厳しく追及されていた
國は こんな反日親中公共放送をほっておくだらしなさ
納得する説明がなされないなら
会長以下責任者すべてを外し
赤い国社員を全員解雇すべきだ
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「君が代」 これを聞くと 内側が立ち上がります
姿勢も正しくなります
春の球春の開会式のとき 高校生が歌う「君が代」
毎年 心待ちにしている マダム・けったいはんです
これを教えない これを抹殺しようと企む 日教組は
即刻 廃止せよ
そんなものの牛耳るものたちに
自国の誇りを教えられん教育者が
どうして他国の多様性を認め 尊重する心を育てられるのか ?
教育という名のもとに 反日 自虐史実を 洗脳するものたちに
日夲の宝である子どもたちをまかせるわけにはいかん !
『古今和歌集』巻之7、賀歌の冒頭に
「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」とあり、
『和漢朗詠集』巻之下に
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」とある。
『古今和歌集』はあの紀貫之(きのつらゆき 945年没)らが作った和歌集。
『和漢朗詠集』はあの藤原公任(ふじわらのきんとう 1041年没)が作った
和歌漢詩集。日
本の国歌はちゃんとした歴史に裏打ちされたもの。
諸外国のそれとは「歴史の重み」が違うんです。
「き」は 男性
「み」は 女性
ちぎって 新しい「き」と「み」が産まれて
永久に続くことを祈る
日夲語の「君」は 君主でのうて 愛しい相手のこと 人々のことです
愛しきあたちの殿さまは あたちのことを ときどき
「君」と呼びます あっふんふ~ん
「 君が代 」は
千年という月日 変らず 愛と平和を祈りつづける歌です
23分44秒
とても響いたので ここに 文字起こしをさせていただきました
どうか ご照覧たまわとう存じます
世界の国家ランキングで 日夲の「君が代」が 堂々の第一位 !
高らかに響くラッパも 勇壮な行進曲リズムも無い
歌詞は わずか32文字
一見 世界で最も「地味」ともいえる この短い歌が
言語も文化の壁も越え 世界中の人々の魂を揺さぶった
世界で一番美しい
日夲人の精神が宿っている
2026冬季五輪 イタリア・コルティナ
日夲選手たちの その立ち振る舞いが世界に衝撃を与えました
スノーボード男子ハーフパイプで悲願の金メダルを手にした戸塚優斗選手
表彰台に上がる直前 共に戦ったライバルたちひとりひとりに歩み寄り
深く敬意を払いました 勝者の慢心などみじんもない
そして あの静かな国家が流れ始めた瞬間
彼は 真っ直ぐ日の丸を見つめ 帽子を脱いで胸を張り
微動だにせず 凛と佇んだ
それを見た 両隣の選手も帽子を脱いで 「君が代」を聞くという
寒い冬の競技では 非常に珍しい光景が見られた
その光景に イタリアの記者は
「彼こそが日夲の精神性を そのまま擬人化したような存在だ
それに続いた 山田 ジェームスが 敬意を払う姿勢も美しい」と絶賛
フィギュアのりくりゅうペアも世界中の人々の心をわしづかみにした
世界歴代最高得点をたたき出し 大逆転で金メダルが確定した瞬間
2人は狂喜乱舞するのでなく リンクに深く一礼し氷の神に感謝を捧げた
得点発表を待つ間 木原選手が自然に見せた正座の姿勢
周囲を気遣う控えめな態度は イタリアメディアに
「精密機械のような完璧な演技の裏には
これほどまでに深い精神文化が息づいているのか 」驚愕させた
彼らにとって勝利とは 他者を打ち負かすことではなく
自身を律し 周囲との調和を図るプロセスの結果にすぎない
そんななか 日夲国家が注目を浴びるようになった
他国の国家は「勝利・栄光」を称える明るい曲が多いのに対し
「君が代」は 暗く ゆっくり曲調
それが流れると SNS上で論争が起きた
日夲の国歌に対する違和感です
他国の国歌が流れるとき 会場は勝利を祝う凱歌のような
高揚感に包まれる
フランスの ラ・マルセイエーズ
アメリカの 星条旗 のように 力強く 行進曲のように勇ましい
これが常識
しかし 日夲の国歌「君が代」が流れた瞬間 空氣が一変した
あまりにも静かで あまりにも淡々としたその旋律に
「勝利を祝う場には暗すぎる」
「音楽として成立しているのか」困惑した反応
オペラや 華やかな音楽文化を誇る海外の人々にとって
日夲の国歌は あまりにも異質に映る
なかには 「まるで葬列の音楽のようだ」と 心ない言葉もありました
「君が代」の あまりの異様さに世界は 不安に包まれていた
君が代は 理解不能な不気味な旋律 として大きな謎になりました
西洋の音楽理論や 戦って勝ち取るという価値観からすれば
君が代は あまりにも異質すぎた
強大な帝国 革命の歴史を誇る国々の人々にとって国家とは
「敵をなぎ倒し 勝ち取った証」としての勇壮な行進曲であるべきでした
そんな彼らの目には 微動だにせず 国旗と国歌の前に凛と立つ日夲人の姿が
異質にしか見えなかった
「日夲人は勝利を喜んでいないのか ?」
「なぜ あんな葬式のような曲を後生大事に守り続けているんだ ?」
騒動は SNSの誹謗中傷に留まらず
現地のジャーナリストや 知識人の間でも議論の的になっていきました
ミラノのプレスセンターでは ある記者が公然と批判した
「日夲の国歌は この近代的な国際試合のスピード感に追いついていない
もっと現代的アレンジを加えるべき 」
とある海外の国民的歌手が云った
「音楽は魂を揺さぶるものであるべきものであるべきだが
君が代からは 情熱が感じられない あれは旋律の不在だ 」
と発言したことで 批判の声は決定的なものとなった
日夲選手の活躍が続き そのたびに流れる国家に対して
心ないブーイングが混じることさえありました
これほどまでに 自国のアイデンティティを否定されるという経験は
日夲人選手 関係者にとって 計り知れない心の痛みとなりました
日夲国内でもこの事態を知った人々からは
なぜ ここまでいわれなければならないのか という悲しみと
批判に対する静かな怒りが湧き上がっていました
文化の衝突という名の壁が高く冷たくそびえ立っていたのです
そんな批判の嵐のなか ある人物が沈黙を破りました
日夲文化に造詣深い ケント・ギルバート氏です
海外メディアや SNS上で起こっている「君が代批判」に対し一石を投じた
「暗いだの 退屈だのと切り捨てているあの歌の正体を知っているのか?」
ギルバート氏は 君が代の歌詞が世界で類を見ない純粋で美しい
「愛の歌」であることを説いた
多くの國の国歌が 敵を倒せ 血を流せと勇ましく叫ぶなか 君が代は
ただひたすらに 大切な人の幸せと平和が永遠に続くことを願う歌であると
表面的な派手さばかりを追い求めてきた欧米の人々にとって寝耳に水でした
歌の意味を解説したのです
自分たちが「葬式のような曲」と 蔑んでいた歌が
実は人類が最も大切にすべき 「 平和への祈り 」そのものだったことに
ようやく氣づき始めました 人々は魔法が解けたからのように
君が代の真実を探求し始めた
そこで彼らが目にしたのは 他国の国家とは一線を画す歴史の深みでした
世界で最も古い歌詞を持つ国家
歴史の浅い国々や 革命によって国家が塗り替えられてきた国々の人々は
衝撃を受けました
1000年昔 誰が詠んだのかさえ分からない歌
それが 1000年のときを超えて ひとつの國の象徴として
歌い継がれているという事実に 歴史家たちも
「これこそが真の伝統であり 文化の継続性だ 」と
更に人々を驚かせたのは 短い歌詞にこめられた「自然観」
小さなさざれ石が 気の遠くなる時間をかけて積み重なり
大きな巌となり その表面に苔が生い茂るまで
これが意味するのは 急激な変化 破壊を伴う革命ではなく
静かで しかし決して途絶えることのない平和な時間の流れです
軍靴の音 銃声が響く他国の国歌とは対照的に
君が代には「敵」が存在しない
他者を排除して勝ち取る倖せではなく
ただ愛するものがそこにありつづけることを願う
この究極の平和主義こそが
日夲の精神性の根幹にあることに 世界が氣づいたのです
暗い と云っていたメロディ 今や
「1000年の静寂を表現した神聖な響き 」として届き始めた
地味だとしていた短さのなかに
宇宙の広がりを持つ意味が凝縮されている
その奥ゆかしさ いわゆる わびさび の精神が感動として広がっていく
日夲選手が表彰台の頂点に立ったとき
会場を埋め尽くした観客たちは 私語を慎み
その一音一音を刻み込むように耳を傾けました
かつて 不気味だ と 揶揄された あの旋律が
今や 世界で最も尊く 最も平和に近い 「神聖な音」として
海外のメディアは報じ 最大級の賛辞を贈った
「 我々は 恥ずべき無知の中にいた
日夲の国歌は ただの音楽ではなく
人類が到達すべき究極の精神性そのものである 」
世界の国歌ランキングの結果が 衝撃を与えた
日夲の「君が代」が 堂々の第一位に選出された
静けさを異常とした世界は 唯一無二の価値を認め
羨望の眼差しを向けている
なぜ これほど短く 派手さのない曲が 世界最強国歌に君臨したのか?
その理由は この歌の持つ 「徹底的な利他精神」
他国の国歌が「動」であるのに対し
君が代は ただ静かに大切な存在の永続を願う「静」の祈り
この圧倒的優しさと 1000年以上変わらぬものを使いつづけるという
文化的継続性が世界中の人々に静かに突き刺さったのです
旋律の不在と 云い放った音楽家たちは 今や
「沈黙の中にこそ 真の音楽がある 」と
米軍人は
「自国の国歌を誇りに思っているが 君が代を聞くと
戦うことの虚しさと 守るべきものの尊さを同時に感じる 」
フランスの知識人は
「革命の歌は過去を讃えるが 日夲の歌は永遠の未来を願っている
これこそが 21世紀に人類が必要としている哲学だ」
君が代のあの短かさは 装飾 余計なものを削ぎ落しきった
「純粋な愛」の結晶なのです
日夲が数世紀にわたって守りぬいてきた「宝物」の価値に
世界はようやく 追いついたのかもしれない
ミラノの街では 「君が代」をスマホの着信音に設定する若者
なぜ 今まで この歌の美しさに氣づかなかったのだろう
世界中から寄せられている
ミラノの街角で 日夲の国旗を見かけるたびに 現地の人々が会釈をし
敬意を払う光景が見られるようになりました
日夲の国歌は もはや日夲だけのものでなくなりました
争いの絶えない地球という星において
最後の一灯となる「希望の旋律」として全世界がその響きを渇望している
人類が本能的に求めていた「安らぎの音」だったのかもしれない
異常だとまでいわれた 唯一無二のユニークさが
今や世界が追い求めるべき「理想の姿」の輝きを放ち始めた
競争と対立に疲れ果てた現代人が 日夲という國が守り続けてきた
「調和の精神」に救いを見いだした瞬間
他国の国歌の多くが 流血し勝ち取った自由や 外敵への勝利を宣言するなか
「君が代」だけが そよ風のように 森の中に舌たる水滴のように優しく
しかし確かな存在感を持って鳴り響く
ある若者は SNSで
「自分の国の国歌は 聞くと血が騒いで誰かと戦いたくなる
でも 君が代を聞くと故郷の家族に電話をしたくなる
どちらが本当に人類をしあわせにする歌だろうか 」
これは オリンピックという枠組みをこえ
我々が どんな未来を築くべきかという根源的議論に発展していきました
「君が代」は 世界が共有すべき「平和の遺産」として
心の中に根をおろしました
「これでは国家とは呼べない」とまで言われた
その特殊な構成こそが 実は 世界で唯一
争いの連鎖から解き放たれた「祈りの形」でした
この事実に気づいた世界中のメディアは こぞって日夲の精神性特集を始めた
イタリアのテレビ局は 「君が代」の歌詞を
英訳 でテロップで流し続けました
そこにある「さざれ石」の精神 すなわち
「小さな力が集まり 長い年月をかけて揺るぎない平和を築く 」
これを詳しく解説した
世界は 「君が代」という唯一無二の旋律を通じ
劇的転換点を迎えた
イタリア人女性は 表彰式で「君が代」が流れるようすを収めた動画に
こんなコメントを添えて投稿しました
「わたしは これまで 国家とは戦い勝った喜びを叫ぶものだと思っていました
日夲の国歌を聞いて初めて気づいたんです
本当の勝利とは 誰かを打ち負かすことではなく
この歌が願うように 愛する人と共に平穏な時を刻み続けることなのだ と 」
かつて「旋律が無い」と批判された あの音の運びは
実は日夲人が1000年以上かけて磨きあげてきた「和の心」そのものでした
派手な打楽器も 高揚感を煽るブラスセクションも必要無い
ただ さざれ石が巌となり 苔が生えむすまでの悠久の時を
最小限の音数で表現する
その潔さと謙虚さこそが 現代の殺伐とした世界において
最も強烈な「光」として機能したのです
イタリアの専門家たち日夲の国歌を世界の至宝と讃えた
「我々が誇るオペラの華やかさとは対照的な 引き算の美学の極致がここにある」
日夲人選手がみせる すべての日夲的振舞いが
「君が代」という音楽に命を吹き込み
視覚的説得力をもって世界に迫った
世界の人々は 日夲人がなぜあれほどまでに礼儀正しく
困難な状況でも他者を思いやることができるのか
それが この「君が代」という祈りの歌に集約されていることを悟りました
差別 不正 対立が絶えない裏側で
日夲の国家は 人類が持っていたはずの「純粋な善性」を呼び覚ます
聖なる儀式となったのです
ミラノ五輪を通して 世界中の人々 地球人類
日夲の「君が代」こそが この混迷の時代において
進むべき道を示す「最強の国歌」であること
他国の国歌は「過去の戦い」を讃える歌
日夲の国歌は「未来の平和」を予約する歌
自分たちの勝利を叫ぶのではなく
あなたという存在が この世界が 苔が生えるほど長い年月
健やかで幸せであるようにと願う 祈る
これほどまでに謙虚で 力強いメッセージを持つ国家がどこにあるのか
君が代は わたしたちが連綿と受け継いできた
「 調和の精神 」 「 愛 」 の結晶なのです
もうひとつ こんなんも
18分41秒
国家「君が代」を 伊・英語に翻訳して
テレビ画面に映し出した イタリア に 感謝
メローニ首相 ありがとう
イタリアの音楽評論家 ジョバンニ・ロッシ氏は こう述べた
「君が代は 国家という枠を超えた芸術作品だ
西洋音楽が力と勝利を表現してきたのに対し
日夲の音楽は 静寂と永続を表現する
その哲学の違いが 君が代には凝縮されている」
フランスの文化評論家 マリー・デュポン氏も感動を語った
「りくりゅうペアの逆転劇と 君が代の組み合わせは
まるで映画のようだった
バイト生活から世界の頂点へ登り詰めた二人の物語
そして 相手の幸せを願う国家
それは 日夲という國の精神性を見事に体現していた」
「君が代」
1000年前の古今和歌集の 和歌を
日夲独自の音階で奏でる「君が代」
愛と平和を祈る国家
国家に推奨した明治の人間力の厚みに
感嘆するとともに 感謝しかありません
「君が代」は 国家を超えて
テラ ( 地球 ) という星歌になったんや ! ! !
L’era della Luce (光の御代)へ
おめでとう 日夲
おめでとう テラ ( 地球 )