Rayです。
読んでくれてありがとう。
正しいのか、間違っているのか。
二元性の概念を生きていると、気になるね。
でも正しいも間違いもどちらもあることがすでに愛。
「間違っている」と他人に指摘する時、
自分の「正しい」が脅かされて不安なだけ。
自分の正しさを証明したいがために、
他人の正しさを変えようとする必要はない。
自分の正しさに不安があるなら、
じっくり自分と向き合うだけ。
そのために「間違っていると思えるもの」が目の前に現れただけ。
例えば、
「親のいうことを聞くのが正しい」と信じてきたからといって、
自分の子供が親のいうことを聞かないことを嘆く必要はない。
むしろ、そんな生き方もあるね!と子供から学ぶことができる。
気づくタイミングが来たから、出来事は起こるもの。
気づかなければ、いつまでもお知らせは来る。
要するに、言うことを聞いてくれない子供に悩まされ続けるわけ。
自分が完璧だと思いたい時、
自分のプライドを保ちたい時、
自分と違う人を拒絶したり変えようとしたりする。
でもそれは、自分が完璧だと本心では信じらていないから。
自分が完璧な存在だとわかっている人は、
自分が人と違うことを当然のように感謝する。
自分が自分であることに感謝する。
そして、
自分と違う人を見ても、本当の自分で生きている全ての人を素晴らしいと思える。
個性こそ、神様の一部を表現しているから。
完璧の一部なのだ。
もう私たちは生まれただけで完璧なのだ。
ただお互いに高め合うために生まれ持った個性。
影響し合うサンプルたち。
人間が考えた一つの「完璧」に自分を変えようとしてきた人は、
自分を卑下してる。
だからいくら「完璧な生活」をしていても、完璧な自分を経験できないのだ。
人の考えた「完璧」は、操り人形をつくる洗脳だもの。
自分で望んだのか、望まされているのかも区別がつかなくなった時、大いなる愛が救いの手が差し出される。
それは私の場合、長女が死んだこと。
心から悲しい出来事。
だから心を取り戻せた。
完璧でないことも、完璧。
宇宙ってすごいな。
本当の光の自分になる言葉
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