こんにちは。
エンジェルフォレストのヒーラー、
葉月です。

 

 

私は大正生まれの祖母と
生まれたときから一緒に暮らしていたのですが、


まあ〜この祖母がめちゃめちゃ厳しい人で。


その影響もあって
私の中にはずっと


「自分を厳しく律しなければならないのに
 できていない自分はダメだ」


という思いが
根深く残り続けていました。


しかし最近ふと
「自分を律することは大事で立派なこと」
という価値観が


いつの間にか自分の中から
きれいになくなっていることに気づいたのです。


セッションをしたり
講座を開催しているときも
深くコミットしていますが、


でもそれは、自分を律しているからではなくて
「どんな自分でありたいか?」
を常に自分に問いかけていて


自分の内面と
自分が外に出す言葉や行動が調和し、
整合しているのが心地よいと感じるから
そうしているって感じです。


律するんじゃなく、
その在り方を選ぶほうが
シンプルに、自分が幸福だからです。





「自分を律する」という思考を
よく見てみると、それはつまり


「私は、自分が心や体の望みに
 従おうとしてワガママしたら
 自分自身にペナルティを与えます」


という脅しを
絶えず自分に向けて発している状態では
ないでしょうか。


その根底には
「私は自分を律していないと
 怠惰でダメな人間になってしまう」
という怖れがあるように思います。


だから
「私は自分を厳しく律しています!」
という人は


時に、同じロジックで
他者を攻撃することになります。


「あの人はちゃんとやっていない」
「あれくらいで弱音を吐くなんて」


そうやって自分に向けていた刃が
外にも向かっていく構造です。


なりたい自分になるために
在りたい自分になるために
自分を律するというのは


実は、とても遠回りな道だったと
今では私は思っています。


それより
「どんな自分でありたいか」を問うならば
罰や脅しではなく
内側からの選択が生きるのです。


脅しで動かされた自分より
選んで動く自分の方が
きっと、ずっと遠くまで、行けるようです。

 

 

 

 

 

 

 

*いつもお読みいただきありがとうございます^^*