今日は、
日航機墜落事故があった日
1985年8月12日。
41年前私は那覇にいました。
東京から那覇国際通りに沖縄初のファッションビル「フェスティバル」がオープンする新店舗立ち上げ店長として
安藤忠雄先生デザインの画期的ビルでした!コンクリート打ちっぱなしで東京ならお洒落でしょうが、沖縄の建物はほとんどコンクリートなので珍しくもなく、天井に屋根ごなくて真ん中は吹き抜け、雨降ると回廊のようになってる通路は水浸しの、沖縄の風土をムシした酷い造り。
そんなフェスティバルビルでした。
AIで作った当時の私?面影ないよ💦
3か月の予定ではありましたが、結果を出せず、悔しくて自ら望んで残っていました。
(昔の面影もないドンキホーテのビルになっていて悲しいわ)
1年が経ち、ようやく売り上げも出来、店長候補も育ち、会社から「そろそろ東京へ戻って来い」と言われたのです。まだ戻りたくなかったけど、仕方なく東京へ戻ることになり、後任として店長を任せることになったのが
A子ちゃんでした。
この出張も私が行く予定だったもの、
これから店を任せるために研修として初めての出張を彼女に託したのです。
仕事を終えた彼女から、公衆電話で連絡がありました。携帯なんて無い時代です。
「これから帰ります。沖縄便が満席だったので、大阪経由で帰ります」
と、お盆の帰省と重なって混んでいたようです。その電話を切って遅い休憩をドムドムでコーヒー飲みながらTVのニュースを見てました。臨時ニュースになり日航機123便墜落でした。
そのニュースを見て震えが止まらなくなりました。
「もしかしてA子ちゃんが乗っているかもしれない⁉️」
と。
結果として、賢い彼女はキャンセル待ちで次の直行便を取り、
翌日普通に出勤して来ました😭
でも、そのまま乗っていたら
彼女が…
あの520人の犠牲者の一人になっていたかもしれません。
いえ、
私だった可能性もあったのです。
41年経った今も、8月12日になるとニュースを見ながら手を合わせます。
そして、「今を生きている」ということは、決して当たり前ではないのだと改めて思います。
ディスコで踊れることも、 盆踊りで笑えることも、 友達と乾杯できることも、 ワンコと散歩することも。
全部、生きているからこそ
今の幸せなんですね。
お盆の時期でもあります。
今日は、亡くなられた520名の方々へ心から哀悼の意を表し、そして今ある日常に感謝して過ごしたいと思います。日航機墜落事故




