今朝、こどもたちを送り
帰り道に公園をお散歩をしているときに
ぱぁ~っ✨と、思い至りました。
「人を見下す」って
ずっとわたしが
直視したくない感情だったけど
この週末にあぶり出されたおかげで
やっとやっと、真正面から見れました
週末あけて
月、火、水曜と
新しいお仕事場や日常生活の中で
どれだけ自分が「人を見下す」感情になっているのか
ひとつひとつ否定せず捉えることができました。
たくさん出てくる、、、
ように今までなら見えたけど
これって今さら出てきたのではなくて
ずっとこの感情はあったのに
自分が見れなくて蓋をしたり
すり替えてごまかしたりして
無視してきただけ。
そう気づけた。やっと見ることができた。
というのが正確なところ。
「なんで人を見下すの?」
自分に聞いてみた。
「だってそうやって教えられてきた。
みんなそういう会話してたじゃん。」
「みんなって誰?」
「お父さん、お母さん、親戚、先生、所属した組織、職場の人、友達とか、あとテレビでもみんなそう言ってるじゃん。」
「みんなが言ってなかったら、自分は思わない?」
「え?っていうか、何?わたしだけ悪いの?」
(悪いなんて言ってない)
わたしが人に質問するのがこわかったのは
自分に質問したら
責められていると感じて怒るからだったんだなぁ。
と、わかりました。
ジャッジしまくっていたから
自分に信頼がなかったのだろう。
自分を見つめるという
対話不足もあると感じました。
わたしは、
人のせいにしたり環境のせいにするのが嫌いで
そうしないようにしてきたつもりだった。
でも
ちゃうちゃう
わたしはめっちゃ人のせいにしてたんだ。
あの人たちのせいで、
あの場所にいたからこうなった
って思ってることが、本当は山ほどあるんだ。
それを認めるのが嫌だから
そういう人が嫌いってことにして
わたしはそう「思わないようにしてきた」
ただのクズ
(笑)
あの人たちのせい
って思っている人たちを
じゃあどうしたら許せる?
「わたしを苦しませた罪悪感に苛まれて
一生その罪悪感に苦しんで生きたらいい」
あークズ
(笑)
この思いを、
人に向けてるようで本当は
そのまま自分に向けていたということ。
そりゃぁ、罪悪感に苦しい人生になりますな。
だって自分がそう願っているのだから。
やっと見ることができた。
やっと否定せずに蓋をせずに
見ることができた。
わたしが見たかったのは、
こういう自分だったんだ。
わたしが見たかったのは
素晴らしい自分とか
何かキラキラ輝いている自分じゃなくて
おぞましい考えを持っていて
それを隠して嘘ついてニコニコできる
最低で卑劣でクソみたいな自分だったんだ。
自己卑下ではなくて
事実としてそう確認したかったんだ。
やっとやっと見ることができて
本当に本当に嬉しかった✨
そして、本当に申し訳ないと思った。
自分に、自分の身体に、その思いを抱いた相手に、
傲慢だったことに。
これがありのままの自分だった。
あぁ、やっぱり
罪悪感ってなんだかんだ言ったところで
自分が選んで
自分にかけている呪いやん
と、腑に落ちたわけです✨
そこに情けは無用


自分で選んできたのだから
自分で責任をもって呪いを外す道を
わたしは選ぶよ。
こんなクソみたいな人間でも
身体は休むことなく働いてくれて
自然はいつも受け入れてくれて
社会は受け入れてくれて
愛してくれる人がいて
助けてくれる人がいて
信頼を贈ってくれる人がいる。
ここは、本当に感謝しかない世界だった。

