2022年秋・帰省編 その①


土日、滋賀の私の実家へ、2年ぶりに帰省していました。

母お手製のご馳走で もてなしてもらって、食事を取る旦那さんを横目に『一緒に帰ってこれる人が彼で良かった』と、心底しっくりして、20代半ば、一時的に交際していたS氏のことを思い出しました。『あの人は同じような もてなしを母から受けても、慎ましさなんて、無いのだろうな』と。もちろん結婚の縁だなんて、ほとほと無かった人だと分かってはいるのですが。

若さゆえの未熟さが招いたエピソードとして、広い心で読んでもらえたらなと思います。

 

Sとはある健全?な場で知り合い、すぐにお付合いが始まりました。私より歳上で、同じ県内でも私の実家からずいぶんと離れた、田舎町住まいの人でした。当初は気のいい男性と思っていたものの、知れば知るほどに、違和感や不信感が募るばかりになっていきました。


たとえば。

自分の情緒が不安定になったら、私の都合など考えずに 気の済むまで電話に付き合わせて、次に会ったら何事もなかったかのように振る舞ってきたり。

『友人にあなたについて話したら“そんな女やめとけ!”って反対されたんだよね〜』と伝えてきたり。(何故それを私へ言う?と当時は疑問だったけど、自分の思い通りに事を運びたかったのかと)

実家が貧乏で私を招けるような状態ではなく、親も息子の彼女だからなどは関係なしに、客人をもてなすという発想がないのだ、と聞かされていたり。

どこまでの本気具合かは不明だけど、親戚間で挨拶代わりのように『お金ちょうだい』と、せびり合いをしている、などなど。


あげればキリが無いけど、彼自身の資質や環境に、奇妙さを覚え始めていきました。

同僚や給料への不満もよく口にしていて、友人についても小馬鹿にする風、精神的にまいったら持病のせいと、彼を取り巻く要素すべてが、不協和音を奏でていたような。


え、“その人と交際して良かった点ってあるの?” ですって??

ありますよ!

【社会へ出て15年以上も経つ人が“自分がみじめなのは親のせい”とボヤく姿は、どれだけの事情を鑑みても みっともなさを拭えない】と、知れたことです。(私も親に対しての恨みごとを漏らしがちだったので、余計に胸に迫るものがありました。)

 

私から『すこし距離を置きたい』と連絡を入れた日には、しつこい程の着信があり、根負けして出てみたら『車を走らせてあなたの実家付近に来た、直接話がしたい』と言われ、身の毛がよだちました。

実はその時は友人宅にいて、その子に見守られながらの通話でした。会えないことを伝えて実家付近から追い払いはしたものの、恐怖のあまり、その日は友人宅に泊まらせてもらったほどです。

 

(こぼれ話/旦那さんと婚約後、ちょっとした危機があったんです。彼が電話で話したいと言ってきた際に『1人でゆっくり考えたい』と伝えたら、私の気持ちを尊重して、余計なことを言わずに引き下がってくれて“自分を律することが出来るんだな”と、ほっとしたことがあります。)

 

そうして、どうにか交際解消まで漕ぎ着けたものの、悔しまぎれからか別れ際に『プレゼントしたものを返して』と、返却を求められました。きちんとそれについては(雑に包装して)送り返しましたけど。

更には『デートで掛かったガソリン費を支払って』との催促をされ絶句したのですが、その請求からしばらく経ったのちに『友人として一緒にドライブに行きませんか』との提案を重ねてきた神経が、さらさら理解不能でした。

 

でも私もまた、同じように愚かだったのです。

放置するのがベストなのに、向こうから連絡があれば、半端に相手をしていましたから。

家付近で待ち伏せされることが怖くて、上手に諭し落として、向こうが納得した上で離れていくことを望んでいました。その中には“そちらの言い分が、いかに支離滅裂かを分からせたい”の気持ちも、あったかと思われます。

 

ただ2人きりの世界において、Sのほうがギリギリ瀬戸際を歩いているからか、言葉に怒りが込められがちで、言い切りの強さも私より勝っていたりと“あちらの言い分のほうが、よほど正しいの?”と、錯覚しそうになる瞬間が何度となくありました。

そんなやり取りにも いい加減に疲れてきて、全部私が悪いでいい、そう言い触らしてもらっていい、だから『もう、ゆるして····』と、絞り出した言葉で訴えました。バカみたいです。最初からちゃんと、私は許されているのに。

 

そんな、力ない言葉を聞いてもなお『これだけ好きなのだから復縁すべきだ』と、捲し立ててくるS。何よりも恐ろしいのは、彼がそれを本気で愛だと信じていることでした。

通話状態のまま電話を置いて、事情を知る母の元へ行き『自分で片を付けられなくて心底情けないけれど、助けてください』と、頼み込みました。

通話を放置されていることに気付かないのか、電話口の向こうからはずっと声が響いていて、母が『もしもし』と電話へ出ると『えっ』と、漏れたその声色から、明らかに動揺した様子が読み取れました。

 

母『母です。もう娘とは切れているんですよね』

S『えっ、切れてるんですか?切れてるんですか?』

母『もう連絡してこないで下さい』(電話)ブチッ

ツーツーツー····

母『アホちゃうか。もう着信拒否しときや!』

はい、お母さま。

彼が主張していた私への愛について、母が聞いたら『笑わせるな』と言うだろうな、と思いました。(そんな言葉遣いしないけど)

毅然と相手を払い除ける母を見れたことも、なんだか嬉しくありました。

 

彼からしたら電話に応じるあたり、まだ私側にも、多少の情はあると見越していたのかもしれません。その相手へ自分語りをしている最中に、拒絶の本気さを示す人物が登場して、結構な屈辱感を味わったかと思います。

『さすがにもう、連絡を寄越せるはずないよな』と眠りに就いたら、翌朝、“大量の薬を飲みました”と、自死をほのめかす文面が届いていました。

でも、私にはもう冷静さが取り戻されていたので、そのまま携帯ショップへ行き、番号等を変更して逃げきりました。共通の友人がいないことは幸いでした。Sが家の付近に姿を現すことも、ありませんでした。

 

数ヶ月が経って、友人と会ったときに『SNSでSのこと調べたよ、生きてるよ』と言われ、見せてもらったのは【念願のラーメン食べにきました!】といった、最後のメッセージからわずか2日後の、Sのはっちゃけた投稿でした。

もともと冷めきっていた気持ちは更に凍てつき、あとに残ったのは軽蔑心だけでした。そしてようやく、命の責任を押し付けられてダメージを喰らっていたことを、自覚しました。


人生を大切に扱える力、方向性がある程度は揃っていないと、パートナーとして相応しくはないわけで、極端に力が弱い人であったら、誰とであれ手を携えて生きてゆくのは、難儀なのではないかなぁ。

Sとの記憶によって、いま私の手元にある幸せは、間違いなく自分へしっくりくるなぁと感じられたのですから、少しばかりは敬いも持つべきですかね。

幸せは願えないけれど。どうか彼の人生にも、突破口あれ!


Arisa