こんにちは
。
くのあきこです。
前回の続きです。
子供たちをちゃんと育てないと
失敗して取り返しのつかないことになる。
そう追い立てられて
ギリギリアウトの精神状態で子育てしていた過去の私。
そもそも
ちゃんとって何?
失敗って何?
うーん。。
完璧で少しのミスも許されない感じ?
私って何のために頑張ってたんだろう。
母親を見返したい?
母親に認められたい?
でも
いつも母親は労ってくれるんですそんな私を。
仕事しながらよくやってるよお前は。
頑張ってるね。
って。
でもね
私、全然嬉しくないんです。
中学や高校のころは
成績がよくトップもとっていました。
母親はやっぱり
労ってくれました。
さすがだね。
お前はすごいね。
って。
でもやっぱりその時も私は嬉しくなかったんです。
一番認めて欲しいであろう母親に
認めてもらってるのにまだ足りない?
学校でトップの成績をとっても
まだまだ足りない。
私が求めてるものって何だろう。
東大にでも入れば満足?
非の打ち所がない育児?
子供のころ
親を幸せにするために私ががんばらなきゃ!
そう思っていました。
だけど
頑張っても頑張っても
親が幸せそうに見えないんです。
どんどん完璧を目指すようになったのかもしれません。
親が幸せになると私が得られるもの
それが
安心でした。
全く幸せそうに見えない両親。
常にピリピリと張り詰めたような空気の家。
私の居場所がない家。
私が欲しかったのは安心な居場所。
でもいくら頑張っても結果を出しても
手に入らないから全然満たされない。
だって
いくら母親に認められても
私が私自身を認めてないんだもん。
自分の存在自体を認めてないのに
安心安全な居場所が見つかる訳ないですよね。
自分に家族が出来たときも
同じように反応し
とりつかれたように猛進したのかもしれません。
子供って
親が幸せそうにしてくれたら
それだけで自己肯定感があがります。
私はここにいていいんだ。
そう思えるから。
自分が自分の存在を認められる。
お母さんが自分自身を生きると
子供も自分を生きていけるってことですね。
私の場合
親が幸せかどうかは親の問題。
私がなんとかしなくていい。
そう境界線をひくこと
自分が自分の存在を認めることで
完璧でない自分を少しずつ受け入れられるようになりました。
それが
安心な居場所につながっていくんでしょうね。

