「真面目でがんばりやさん」の
あなたの心をもっと楽にする
心理カウンセラー・中井亜紀です。
今でこそ私のことを、
「アンパンマンみたい♡」
とか、
「薬局の前に立ってそう♡」(オレンジのゾウ?)
とか、
ゆるキャラ的な印象を
持ってもらえますが、
半面、何にも苦労せずに、
のほほ~んとしあわせに生きてきたようにも
見えるようなので、
わたくし、中井亜紀「42年間のヒストリー」を
お伝えしようと思います♡
幼少期〜学生
1975年 母の実家がある
幼稚園に入る前(それまでは埼玉・山形行ったり来たりの生活)に、
父の実家がある
山形県蔵王温泉に移住。
家族構成は、
父、母、私、2人の弟と、
祖父、祖父の内縁の妻(私は何の疑問もなく、大人になるまで本当のばーちゃんだと思っていた)
自営業の両親。
父は仕事が忙しく
あまり家にはいませんでした。
母はいつもお金のことで頭を抱えていた。
小さい頃は気づかなかったけど、うちはけっこう貧乏でした。
だから母の口癖は「自営業者じゃなく、会社員と結婚しなさい」。
母はいつもお金のことで頭を抱えていた。
小さい頃は気づかなかったけど、うちはけっこう貧乏でした。
だから母の口癖は「自営業者じゃなく、会社員と結婚しなさい」。
父が家にいない分も、
母は働きもので、
昼間は敷地内にある喫茶店を切り盛りし、
7人家族の世話をし、
本当によく働いていた母。
そんな母を見て、私が小さい頃、
無意識で設定した思い込みは、
無意識で設定した思い込みは、
「苦労して当たり前」
「働かざるもの食うべからず」
「男性には頼ってはいけない (父に頼らない母を見てきたので)」
小さい時の私はというと、
超人見知り。
小学校の授業参観では、
母が1分でも遅れてくると、
寂しさと不安で泣きだしてしまう
引っ込み思案な小学校低学年時代。
とにかく昔からお母さんが大好きで、
超お母さんっ子だった私。
「大人になったときに恥ずかしくないように」と、
特に私には、躾が厳しかった母。
それに対しイラつくことはあったけど、
反抗期らしい反抗期もないまま思春期を過ごす。
無意識で、
母を喜ばせるために
ひたすらがんばって生きていました。
成績は常にトップクラス。
成績が下がること自体が、恐怖そのもの。
↓これでも 笑
↓これでも 笑
なぜなら無価値観を持っていたから。
「価値がない私」にならないよう、
必死にがんばっていました。
必死にがんばっていました。
母が喜ぶに違いない!と、
これまた目立つことが好きでもないのに
これまた目立つことが好きでもないのに
学級委員や児童会長をやったり、
とにかく、
母や先生に認めてもらいたくて
母や先生に認めてもらいたくて
「いい子」をずっとがんばってきた。
それでも、
当時は生きづらさを
感じていたわけでもなく、
友人にも恵まれ、
楽しい学生生活を送っていました。
人生で大きな選択をするときは、
無意識で
母が喜びそうな選択を。
無意識で
母が喜びそうな選択を。
「娘には四年制大学を出て欲しい」
「普通にお勤めして、普通に結婚」
という母の希望を叶えるための選択をし続けた私。
母が選んできた埼玉にある大学に入り、
卒業後は、
東京で普通のOLになったのでした!
母が望んだ「普通の」人生。
この
「母が求める普通を選択」し、
そこで選んだ「OLの道」から
急降下人生の始まり・・・。
ここからの話しが
長くなるので第2章に続きます!
お読みいただきありがとうございました♡





