もう数週間、バッグに入りっぱなしの本。



怒らないこと 2―役立つ初期仏教法話〈11〉 (サンガ新書)/アルボムッレ・スマナサーラ

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前に読んだ、



怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)/アルボムッレ スマナサーラ

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の続きです。 右矢印怒りについて





実は、もうすでに1度読んだのですが、


実に深い事がさらっと書いてあるものですから



空き時間にちょっとづつ読み直したくて



(あえて、短時間に少しづつ読みたいのですあせる


長時間かけてたっぷり読んでも すべてが深すぎて、頭に残らないからあせる)




ずっとかばんに入ってる、という訳ですにひひ




この本によれば、




「怒らない事」というのは、人が生涯をかけるにふさわしい


人生の目標とするに値するテーマ




なのだそうです。



つまり、



「怒らない事」が達成された時、人は幸せになる と。




そもそも、



生きる事は  「苦」 なんだそうです。



そして、「苦」は嫌だ と思う反応が 「怒り」。




つまり、



怒りを持たずに生きる事はできない、


生きるとは、基本的に怒ってしまう構造にはめられている、と。




これだけ読むと、でも人生には楽しい事、


幸せな事もたくさん有るよ!


・・・と思ってしまうのだけど、そんなレベルの話ではない様です。




なぜなら、




生まれた時から、赤ちゃんは


お腹が空いた、という「不快=苦」を感じる度に泣く、




それは、一時的に満たされても、


また時間がたてば同じ「不快=苦」がやってくる、




つまり、



生きる事は「苦」、感覚は「苦」



だという事なのですDASH!






「嫌だ」という感覚、その反応が、「怒り」 なんだと。





その怒りを使って、自分なりの幸せ、幸福、楽しみという


妄想概念を作ってしまう




「これがあれば幸せ」というのは、


全部「嫌だ」という気もちから出発している





「嫌だ」という怒りから、


勝手に自分が「幸福」だと思っているものを求める、





その結果、幸せになるどころか 苦しみが増える



(これは 世間でいう幸福を求めた時、つまり、


自分の外に幸福を求めた時の事ですね。)







でも、人間には感覚が無いと大変な事になる、


つまり 「苦」が無いと生きていけない(著者曰く、「感覚=苦だから)」





もし「苦が嫌だ」と思うなら、



生きる事そのものに対して未練を持たず諦める事。



(これは解脱という境地らしいです)





こう聞くと、あまりにも今まで生きてきた価値観とかけ離れていて、




感覚が苦だとか、幸せが妄想概念なんて、


なんだか寂しい気がして


始めはしっくりこなかったのですが、




読み進めていくと、そういう事かって


だんだんと分かってきました。






「感覚」を感じるのは「私」で、


「私」という殻を作った時点で、「他人」と分かれる



そうすると、「自分の事しか知らない」となる。




すると、他人はライバルでしかなくなる。





それで結局 人は、自分の事にしか興味がないし


自分がよかれと思っている目的に向けてしか頑張れない





そして、「私」という何かが存在する、と思いこむと


次から次から怒りが湧いてくる。




なぜなら、見る物や聞く物、あらゆるものが


自分で管理できないから。





ここまで読んで、ちょっと分かってきたんです。





様は、ワンネスの世界だと、怒りは無い、


という事ですよね、きっと。





でも、この世界は物質世界だから、目に見えるあらゆるものが



個々に分かれていて、結果 自分と他人という意識が生まれて、



そうなると、「苦」が湧きでて、



そしてその反応の 「怒り」 が現れる、という事かなと。





だから、地球で生きてる以上、「苦」やら「怒り」が出てくるのは


逃れられない、仕方ない事だと言えるのかな。





でも、その「怒り」が、癌を引き起こすほどの猛毒だったり


するのですから、



もれなく「怒り」という猛毒がついて来るこの地球での修行は、


すごく大変なものなのかも。。





・・・・まさに、人が生涯をかけるにふさわしい


人生の目標とするに値するテーマ・・・あせる






著者は最後に、


「成功する生き方」の所で、




「役に立つ生き方」をすると良い、




と書いています。





もともと「苦」に満ちている私達には、


本当の幸せが何かが分からないから




「実現したら 私の、周りの人の、人類の役に立つか」



で判断した方が良いと。





たとえ苦しい事でも、実現したら誰かの役に立つのであれば


充実感を得られるから、と。





実行する間も、常にそれはチェックして、


最後までやって結果が出た時もチェックして



実行して良かったのか悪かったのかチェックして、


悪かったのだったら、次からは止めればよい。





小さな事でも、「私はけっこう役に立っているんだ」と思えれば


楽に生きられる





・・・・なるほど。



つまりやっぱり、「個」でなく、「ワンネス」なのですね、幸せの鍵は。




それって、引き寄せとか、願望達成とかでも良く言われる事ですもんね、



「自分だけのためでなく、他の人のためにもなる願い事の方が


スムーズに叶う」と。




やっぱりそれは、宇宙の真理なのでしょうね。





そして最後の最後はやはり 仏教らしく、




「慈悲で生きる」




とありました。




誰もが苦しんでいるからこそ、慈しむ。





自分以外の「生命のおかげ」で生きている事を忘れず、


「おかげさま」で生きる。



慈しみが生まれてくれば、怒りが消えていく





ここまで読んで、納得しました。



これぞ、魂レベルでの学び。





それを学ぶ為に、



私達は始めから「苦」「怒り」と共に生まれてきたのか。。





でもその「苦」「怒り」は、


慈しみを自分の中で誕生させる事で消えて行き、



逆にそれができなかったら、


怒りという、癌をも引き起こす猛毒に体を蝕まれる・・・。





この本を読む限り、地球学校での学びの根本にあるテーマが



その様に、「怒り」とどう向き合い、どう対処していくか、



という事なのか~と思いました。





そして、地球学校では、個人個人の「自由意思」が尊重されますから



どちらを選ぶも、自由 だという事ですね。





前回 に続き、また書きながらスッキリしましたあせる




読むだけで終わるのと、書きながら要約するのとでは、


本の理解度が やっぱり全然違います~本





さて。




では、慈しみを自分の中に誕生させるか、させないか、


どちらを選びますか?




という事になりまして。





私はもちろん、慈しみを誕生させ、育み、大きくする学びを


引き続き やっていきたいと思います。




もともと「無条件の愛」や、「慈愛」というのは、



私の魂が学びたがっている事 、つまり


私が生まれて来た意味 の様なので・・・





・・・最近、さらにしつこい様に降ってくるのです、


慈愛、無条件の愛 という言葉が。




今この記事を書いているのも、その一環かなあせる


書かされた、という事かーにひひ





あ、あと、「主人との関係」というテーマも、


どんどん降ってきてます~DASH!




ちゃんと向き合っているつもりが、


やっぱり出来てない課題の様ですあせる





あ、そんな風に思う事も、


「苦」


だという事ですねあせる確かに「快」ではない・・・DASH!なるほどです。




でも人は人生は元々「苦」なんだと思うと、


幸せな事が さらに幸せに思えますねキラキラ




マイナスからのスタートだから、謙虚さが生まれますから。




「あって当たり前」ではない、という事が、はっきりして来る。


「無くて当たり前」なのだから。




そうやって 謙虚さを自覚できる事で、感じる幸せが増えるんだね~




それって、すごく幸せな事かも・・・ビックリマーク