何事も
経験を積むと上手くなるように
自己探求は
やればやる程、深くなるなと思う。
最初は、
表面的な部分から「知っていく」
私の場合だと、
「自分の全てをさらけ出せる人になりたい」
という、自分の本心に気づいた。
10年前に気づいた
この本音、感覚は、
本音で生きる人でいたいとか
オープンハートで生きたいとか
言葉を変えて、ずーっとあったけど、
今朝、
源と思えるところに気づいた。
わたしが、
自分の全てをさらけ出したいとか
本音で生きたいとか
オープンハートで生きたいとか、
はたまた
無理をしたくないとか
淡々と生きたいとか
鮮度100で生きたいとか
「旬」でしか動けないとか
そういうの全部、
内側の自由を求めてたんだ。
〇〇すべき。
〇〇じゃなきゃダメ。
と、我慢をしたり
自己犠牲的な事をしてたのも、そう。
行き着いた先にあった答えは、
これは正しいか?
という自己採点が指針![]()
だったのよね。
つまりは、
どんな感情も思いも行動も
瞬時に「これは正しいか?」と
常にジャッジ、判定を下してたことに
気づいたの。
その速さは、
世界最速のは0.00001秒よ![]()
24時間365日
無意識に自分を見張ってたわけ。
外側から見たら
自由そうに見えてたかもしれない。
個人事業主になって
占いカウンセラーで生計を立てて
好きな時に寝て起きて
他人の目を気にせずに
生きてるように見えてただろうなって思う。
だって、
わたしも自分は「自由」だと思ってたもん![]()
でも、
実はそれすらも
「これはわたしにとって正しい行動だよね?」
と、どこかで思ってたんだなって。
金髪にしたいわたしは正解。
派手なネイルにしたいわたしは正解。
面倒くさがりのわたしは正解。
でも、
怖がりで逃避癖があるわたしは正解なのか?とか
焦るわたし、不安になるわたしはダメだよね?とか
ほんとーーーに
無意識すぎて気づていなかったけど
わたしは常に自分の選択をジャッジしてたんだ。
自分は、
自然体とか
そのままだと思ってたけど、
真逆だった![]()
全然、自然体じゃないし
そのままじゃなかった。
だから、
外側が自由な行動をしていても
なんか苦しかったし、つまんなかったんだ。
よくさ、
外側は内側の投影って言うじゃない??
それは
ものすごくそう思ってるんだけど、
じゃあ、
なんでわたしの外側は
いつまでもパッとしないわけ??
と、思ってた。
おかしい、と。
まぁ、
その「いつまでもパッとしない」
と思ってた事が投影されてたわけだけど
←
「何がその思考を生み出してるのか?」
が、全くわからなかった。
それが今朝ね、
「わたしって焦りを感じてる事が多いな」
と、ふと気づいたところから、
ぶぁーーーーって繋がっていったの。
不安や絶望よりも
圧倒的に焦ることが多い。
期限があるものは特にね。
それって、
一見すると責任感や
危機管理能力があって
良いことな感じだけどさ、
わたしの焦りは、
そんなんじゃなくて、
正しいか?という指針に
反するからだとわかった。
正しくなければいけない。
正しければ安心。
正解の行動こそ安全。
これがね、
自分で自分を見張って
採点してジャッジして
罰をくだしてたやつの正体だった。
わたしは、
自由になりたいと言いつつも、
正しさの呪縛にとらわれてた。
がんじがらめだった。
常に修正対象だった。
あまりにも
何十年もそうだったから、
「本当はどうしたい?」
と、聞かれてもわからなかった。
正しさ>本音

