今日の午前中、
お母さんの納骨をしてきました。
たぶん納骨って、
四十九日の近辺で行うものだと
思うんだけどさ、
お母さんが亡くなったのが
1月15日だったもんだから、
四十九日が3月4日とかでね、
その時期、
北海道はまだ雪が残ってるから
ズラしたんだよね。
で、
お父さん的にはお盆を希望してたんだけど
霊園側からその時期は忙しいからNGと言われて
今日になったという訳です。
今日の札幌は
雲ひとつない快晴で、
久々に、
真夏の直射日光を浴びたら
暑すぎてビビりました
←
そして、
当たり前の話なんだけど、
お墓参りに行く時に
お母さんがいない事が初めてで
もんのすごい不思議でした。
決して、
寂しいとか悲しいとかじゃなく
ただ、ただ、不思議だった。
お墓の掃除をしている時も
いつも率先してお母さんがやってた事を
わたしがやってる不思議。
何よりも
そのお墓にお母さんのお骨が
埋葬された事への不思議。
何とも言えない気持ちになったけど、
お母さんの身体は本当に
地球に土に還ってしまった。
なんかね、
その事が思ってた以上に、
私の中で、
大きな一区切りだったみたいで。
でも、
そんな日に、
わたしは
ずーっと今に居続けることが出来た。
今、わたしは、
わたしの中に👸と呼んでいる意識というか、
常に自分を客観的に見ている感覚があるの。
でも、
今まではすぐに思考と同一化しちゃって
感情や現実に飲まれて、行動しがちだった。
それが、
今日は、思考があーだこーだと騒いでも
「あぁ、この声にいつも同一化してたのかぁ」とか
「これは、本当に👸の声じゃないんだなぁ」と
飲み込まれなったの
一瞬ザワっとしたり
「どーしよ😨」となったりはあったけど、
次の瞬間には
「あ、思考が騒いでる」って気づいてた。
で、
不思議なもんで、
そうなったら、思考も「バレた」と思うのか
勝手に居なくなるんだよね
あーだこーだを
聞いてあげようと思ってるのにさ。
そうしたら、
👸は本当に外側で何があっても
傷ついていないし、焦らないし
常に動じないって言うか。
そういうのは
すべて思考の範囲内の事なんだなと。
でも、
だから肉体があるこの時間は
尊いんだなぁと改めて思った。
骨になった状態も
もう感情も感覚も思考もないんだよね。
全部、
命があるからでさ、
生命力そのものなんだ。
なんか、
本当に思考主導から
👸主導に切り替わりつつあるのを
身体でも感覚でも感じた日が、
お母さんの納骨の日と重なったのが
面白いなぁと思ったよって話です
そして、
まんまと写真を撮り忘れました。
やれやれだぜ。
