昔の私は、
常に友達に愚痴を話しては
アドバイスをもらいたがる人だった。
友達とは
愚痴を言い合える人で
信頼してるから愚痴を言う
っていう感じだった。
まさに
傷の舐め合いをしてたし
それが普通だと思ってた。
でも、
自分と向き合うようになってから
少しずつその時間は減っていった。
減ってはいったてたけど
なくなりはしてなかった。
で、
最近、その理由がわかった。
わたし自身が
自分の本音をわかってなかったからだ。
本音って、
否定的じゃないけど
変に前向きでも肯定的でもない。
淡々としてるものだ。
例えば、
私の場合だと、
わたしの本音は、
お金持ちになることでも
有名になることでも
人気者になることでもなく、
日々、
脱力してユルユル生きてるけど
好きなものには熱く生きること
だったとか。
この本音から
思考が勝手に
じゃあ、その為にはお金が必要だね!
その為には表現してるものを
見てくれる人も必要だね!
常に情熱的に好きなものも必要だね!
と、条件を作ってた。
で、
その思考と一体化してたわたしは
まんまと、それらを追い求めてたって訳で。
お金が欲しかったのも
人気者になりたかったのも
盲目的に好きの対象が欲しかったのも
ぜーんぶ
脱力系好きなものには熱い女🔥
でいたかったからだった。
この本音をわかってなかったから
永遠に外側(他人・状況・お金・健康などなど)に
振り回され続けていたし、
感情のジェットコースターにも
飲み込まれていたんだな、と。
感情は出るけどさ、
出たら終わりなんだなってわかった。
頭の中で延々と思い出したり
愚痴や文句を言ってるからなくならない。
あ、これは嬉しいやつも同じで。
何度も何度も頭の中で繰り返すから
その感情を味わってる。
それだけの話だった
それだけの話なんだけどさ、
あまりにも思考と一体化して生きてきたから
まず、そこになかなか気づけなかったし、
気づいたとて、
感情が大きく揺れる事が起きたら
わかっていても一体化から抜け出せなくて
もう苦しいでしかなくて、
何度も何度も何度も何度も
気づいては戻って、気づいては戻ってを
コツコツコツコツと繰り返して
やっと「思考はわたしじゃない」と
思えるようになった。
思考は、
わたしじゃなくて
手足と同じように
わたしの一部であって
使うものだった。
極端な話、
思考と同一化して
一喜一憂して
悩んでは解決してをしてるのって、
手に主導権を握らせてたみたいな
本来、
主導権を握る立場じゃないのが
握ってたから苦しかっただけ的な。
思考に本音はわからない。
思考は本音を言語化する役割なだけ。
本音は、
身体が知っている。
身体のサインから
自分に問いかけていくと
少しずつ見えてくる。
そして本音は
全て叶うもの。
てか、
すでに「ある」から
もうそうなってる。
思考フィルターが、
ガッツリとかかってるから
見えなくなってるだけだった。
痛いところと言うか、
認めたくないところとか
スルーしたいところを
見る事にはなるけどさ、
もはや
思考と意識の主従関係が
変わるところまで向き合うと、
ガチで
状況とか関係なく楽になれるなぁと
身をもって体験した。
ほんとーーーーに
全て宇宙・神様・潜在意識にお任せして
思考ではなく意識に主導権を置くと
色んな事に自然と気づく。
気づくけど、
気づいたらもう終わりで。
そこから出てくる言葉は
思考の後付けでしかないから
楽しめばいいだけで。
なんか、
もう色々重なって
しんどすぎたからか、
そんな境地になりました
でも、
楽だし幸せだし
安心でしかないし、
より喜怒哀楽は
激しくなったけど
引っ張らないから
その場で感じたら終わりだし。
脱力でいる時間が増えたから
このままいようと思います。
脱力系は
決して適当になることでも
投げやりになることでも
諦めてるわけでもないけど、
それらの気持ちの時と
すごく近いから、
自暴自棄になるのは違うけど
「まーもういーやー」と
放り出すのって、すごくいい。
放り出しつつ
自分と向き合う。
これ、ガチでオススメ
なんか今、
詰んでるなーと思う方は
やってみてね。
そうしたら、
色んな感情や気持ちが
ぶわぁーっと出てくると思うから、
その気持ちから
自分と向き合ってみてね

本音が見つかるよ
三浦明美

