とうとう花粉症デビューしてしまいました![]()
こんなにズルズル![]()
になるんですね…
その2週間前にはギックリ腰![]()
今年は大殺界か何かでしょうか![]()
気を取り直して、『母というひと』アップします![]()
間違えて56話を先に公開してしまったので
今日は2話続けます![]()
***母というひと-056話
母が失踪した日から、私は携帯が手放せなくなった。
トイレに行くにも、お風呂に入るにも。
母からの電話がいつ入るかと常にそわそわし、
違う人の名前で着信があるたびにがっくりと力が抜けるような思いをした。
救急車のサイレンが聞こえるたび、ギクッとして立ち止まる。
母が運ばれているのではないかと一瞬想像してしまうからだ。
父は二日に一回ほど電話をかけて来ては、変化はないかと尋ねてきた。
それだけではマズイと思ったのかどうか、
私が休みの日に「飯でも食おう」と声をかけて来たので、
色々と買い込んで実家へ向かった。
兄には知らせていないので、二人きりで。
「母さん今頃はどこか温泉で羽伸ばしてるぜ、きっと」
父はそんな事を言って笑って、好物の魚をつまみにいつも通りにお酒を飲んだ。
その頃はまだ父も私も底なしの飲兵衛だったので、
多少飲んだくらいで酔っ払うことはなく、私はいつもに増して酔えなかった。
定年後もずっと、単身赴任先から帰らない父。
父が赴任先で住んでいる家は、私が幼稚園の頃に購入してあった小さな間取りのマンションだ。
一年ほど家族で住んだこともある。
勤務先が近く、父の実家の市内でもあるので、福岡の家よりもそちらの方が落ち着くらしく、リビングの壁全体に本棚を作りつけ、買いためた本をずらりと並べたりして、残りの人生を自由に過ごすべく整えていた。
父はもう、福岡の家へ戻るつもりをなくしていたのだろう。
しかし、いくらそちらの居心地が良いにしろ、
こんな事態なのにただの一晩もこちらに泊まろうとか、母の帰りを待っていてやろうとか、
そんな発想が出てこないのはさすがにおかしい。
長く実家を離れていた私は、この時まで、二人の乾いた関係性に気付けずにいた。
なんて鈍感だったのか。
母が自殺するかもしれないという胸騒ぎは、父の軽い言動であっさりと薄められ、
どう行動して良いか分からず、ただ毎日、帰りに実家に立ち寄って覗き続けた。
今日は帰って来てるんじゃないか、
実家の電話に母から何かメッセージが入っているんじゃないか、と期待して。
どちらかと言えば神経は太い方だった私だが、
毎日のように心臓がドキドキして気が休まらない日が続いた。
母がどこかで自殺しているのではとあらぬ妄想が浮かぶと、
それだけでまた動悸が起きる。
やっと母から電話が入ったのは、失踪から十日ほど経った頃だったろうか。
あまりよく思い出せない。
携帯に示された「実家」の文字に、飛びつくように応答を押した。
聞き慣れた母の声に、どれほどホッとしたことか。
『ああ……今話していいかね』
「無事だったの?どこ行ってたの!」
ビルの非常階段へ出ながら感情を抑えられず声を上げる私に、
母は静かな声で謝罪して、『あんた、今日うちに来れるかね』と聞いて来た。
「行くよ。仕事終わったらすぐに行く」
とにかくすぐに顔を見て無事を確かめたかった。
『悪いねえ。頼むね』
そう言って電話は切れた。
その声は、父が言っていたような、好きに旅行を楽しんで羽根を伸ばした人のものではなかった。
重く沈んで、掠れたような声。
何を聞かされるのか考えると気が重くならないわけではなかったが、
また失踪されるよりはマシだと思った。
終業までの時間が長く感じられ、
イラつく気持ちをなんとか押さえ込みながら仕事を片付けて私は会社を飛び出した。
この頃に前後して、私は知人を自死で失っている。
それが母の失踪の前だったか後だったか、どんなに考えても思い出せないのは、
どちらもショックが強すぎて記憶が混乱したためかもしれない。
ここから数年間の記憶は、実は時系列に並んでいない。
あまりに衝撃が強い出来事を経験すると、
脳はそれを忘れて精神を安定させようとするそうだけど、自分にも似たようなことが起こったのか…
いや、対応に必死すぎて記憶が吹っ飛んでいるだけかもしれない。
何れにせよ、そんな理由で早くは書き進められない。
綺麗な言葉でまとめることもできない。
思い出しながらゆっくり、記していくことにする。
***57話へ
仕事を終えてダッシュで実家へ向かい
チャイムを鳴らしてすぐ玄関のドアを開けようとした。
ガチリ。
いつもなら私が行く時には
前もって鍵を開けられているはずのドアが、閉まったままになっている。
もう一度チャイムを鳴らすと
少し経ってからやっと母が解錠してくれた。
その顔を見て、ギョッとした。
肌色は青く
黒目だけが妙にギラリとして眉根に深いシワが刻まれ
なんというか、怨念を漂わせるような鬼気迫る表情だ。
かける言葉を失い、唾を飲み込んだ。
「来てくれたかね」
ボソリと呟いて、頷く私に目も合わせずリビングへ戻って行く。
一気に体が縮んだように見えた。
背を丸め、足を床に擦るような歩き方をしている。
その頃、実家のリビングには
大きな一枚板のテーブルを出しっぱなしにしてあった。
そこへ積まれていたダンボールは
一応、床に降ろされている。
窓際の私の定位置に座ると
母が足音もなく冷えたお茶をヤカンから注いで持って来た。
「なんか食べるかね」とは聞かれたが
とてもそんな気になれなかったので断った。
「母さん……体は、大丈夫?」
やっとそう聞くと母は「ああ」と低く声を漏らしたが
まともに返事は返してこなかった。
私や兄が嫌っている、ヒステリーを起こしてどうにも感情がセーブできない時の歪んだ表情だ。
今にも爆発しそうな不安定さが見て取れる。
だが声だけは低く淡々として、そのアンバランスさが気持ち悪かった。
「荷物、すまんなあ。あんた少し片付けてくれたんやね」
お礼を言っているように聞こえるが
これはいつもの母のフェイクだろう。
頼んでいたことが実行されてないことへの苛立ちを
ストレートにぶつけられない時、妙な部分を褒めて不快を伝えてくる時があるのだ。
無言の皮肉を受けて、つい言い訳が口を突いた。
「いや、父さんが、母さんは絶対戻ってくるから片付けるなって」
父さん、という言葉に母の神経がピクリと立つ。
「そうかね」
低い声。
私はまた唾を飲む。
お茶は冷たすぎて飲み心地が悪く、口をつける気になれないでいた。
そう言えば、部屋も妙に冷たい。暖房はつけているのに。
「あの人はなんか言いよったかね」
"あの人"という言い方が奇妙だ。
母は父のことをいつも「お父さん」と呼んでいる。
ガチガチの封建主義を貫く夫の
三歩どころか十歩も二十歩も後ろを黙ってついて歩いてきたような母。
それが、「あの人」なんて空々しい呼び方をするとは。
「何って……」
「私のことを、なんか言いよらんかったかね」
父のあの軽い感じを伝えて良いものか分からなかったが
嘘をつくわけにも行かない。
せめて少し控えめに伝えようという気持ちで
「母さんは必ず帰ってくるから大丈夫だって言ってたよ」と言うと
母は伏目のまま言葉を返してきた。
「帰ってくるわけないじゃろがえ(ないでしょうが)。
私はあの人に「死んでやる」って電話して家を出たんじゃけ。
何が "必ず帰ってくる"かね」
声が震えていた。
「あの人は警察に行かんかったんかね。捜索願とか出しとらんのね?」
答に詰まった。
「……出した方が良いとは言ったんだけど」
「出さんかったんやね。警察には行ったんね」
「…………………いや」
なんだか詰問を受けているようで息が詰まる。
「もう、許さん」
母の目は真っ赤になっていた。
泣いているんじゃない。怒りでだ。
「あんた、聞き苦しい話やろうけど聞いておくれ。
あの人はな、浮気しとるんじゃ」
私は間抜けな声で、ああと唸るしかなかった。
(分かってるよそれくらい)という声をグッと飲み込むのが精一杯で。
「前から時々夜中に電話したら出らん時があってな。
寝とって気付かんかったとか後で言われるけん
そんなもんかと思っとったんやわ。
でもな、あの日はお兄ちゃんのことで相談があって
ちょっと話をしときましょうと思ってな。
でも何回も電話するけど出らんのよ。
まだ寝るには早いし、タバコでも買いに行っとるんじゃろうかと思って
一時間くらいしてまた掛けたら、出んの」
それで思い出したが、父は単身赴任を始めてすぐの頃から
仕事から帰ったらこちらに電話を掛けてくるのを
「電話代が勿体ない」と、ワンコールだけ鳴らして切るようになっていた。
あの習慣はどうやらまだ続いていたらしい。
「寝る前の電話は鳴ったんよ。その後なのに出らんけん
もしかして倒れたんじゃないかと思ったら胸がドキドキして来てな
新幹線に間に合ったけん急いで家に行ったと」
母の右手が、話しながら無意味に台拭きを握ったり
テーブルを拭いたりして落ち着かなく動いている。
「そうしたらな。おらんかったんよ」
父の家は、玄関を開けたら目の前にリビングがあり
目隠しもなく奥のキッチンまでまっすぐ見通せる単純構造だ。
その左に六畳の部屋が二つ、右の奥に洗面と風呂、トイレ。
玄関とは言うが靴箱もなく
ドアを開ければ靴の数だけで父の在不在はすぐに分かる。
「布団も敷いとらんかった。それで私はピンと来てな」
ここからが、ちょっと凄い。
母は父の帰りをもちろんそのまま待つのだが
いざ父が玄関に鍵を差し込んでドアを開けようとした時
とっさに自分の靴を持って奥の六畳の部屋に隠れたらしい。
明け方に鼻歌なんぞ歌いながら帰ってくる自分の夫の姿を
息を潜めて影から確認したというのだ。
父は何も気付かずに奥へと進み
やっと母に気づいた時には文字通り飛び上がった。
「なんだお前!なんでいるんだ!!」
やましい行為を見られていた時
普段偉そうにしている人は大体、大声をあげて相手を怒鳴りつける。
父の反応は、そのタイプの典型だった。
***続く
noteでも公開中
母というひと-001話(母の誕生から結婚生活まで)
母というひと-048話(私が家を出て、また戻るまで)
母というひと-051話(私が戻った後の母の人生)
