神社に、知らないうちに呼ばれてる説
を、書きながら思ったんですが、
神社で「祈願する」と言いますよね。
祈願の「き」の「祈る」は、他者のことを思い、
祈願の「がん」の「願う」は、自分のことを思い浮かべませんか?
これなんで合体して「祈願」という言葉になったんだろう?と思いました。
それは、ちょうど中村文昭さんの講演会でも出た話ですが、

なぜその願いを叶えたいのか、「なんのために」と考えると
誰かのため、社会のため、地球のため…という広がりが見えてきて、
自然と「我」が外れます。
最初は「自分のため」と私利私欲まみれだった願いも、
実は、みんなつながっていることに気づきます。
「祈願」という言葉は、そんな意味を含んでいるのだと思います。
最初は我がのためと思って始めてもいいんです。
でも、それがどこかで誰かの幸せにつながっているって嬉しくないですか?
どんなに「じぶんのため」と思ってた願いも、
根っこをたどると、
誰かを安心させたいとか、
誰かを喜ばせたいって気持ちにつながってたりするんですよね。
つまり「愛」ってことです。
そして、自分も、誰かの「愛」の恩恵を受けているわけです。
泣きそうになる…
ありがたい…
迷って悩んで苦しんで「祈願」することで、
神様仏様が私たちに思い出させてくれることは「愛」でした。
しのごの言わずに、愛を持った行動しなきゃです!
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